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1964年五輪と東海道新幹線、リニアへの前史

武田徹 評論家

1964年鴨宮へ輸送される東海道新幹線の0系量産先行車二宮駅に停車する東海道新幹線の0系量産先行製造車が特急「おおとり」とすれちがう狭軌の151系特急電車とくらべると標準軌の0系新幹線電車の車体幅の広さがよくわかる拡大1964年、鴨宮へ輸送される東海道新幹線の0系量産先行車。左は特急「おおとり」。狭軌の特急電車とくらべると標準軌の新幹線の車体幅の広さがわかる

「狂気の沙汰」扱いされた東海道新幹線構想

 この“弾丸列車計画”は結局、戦局悪化で陽の目をみなかったが、戦後になって蘇る。1955年、日本国有鉄道(国鉄)の第4代総裁に十河(そごう)信二が就任。満鉄出身で標準軌の強みを身に染みて知っている十河は、就任直後に標準軌による新幹線建設の調査を命じ、島安二郎の息子の秀雄を技師長に迎えた。「親父さんの弔い合戦をやらないか?」がくどき文句だったという(近藤正高『新幹線と日本の半世紀――1億人の新幹線―文化の視点からその歴史を読む』交通新聞社新書)。

 1957年5月30日に鉄道技術研究所が設立50周年記念講演会を催し、「超特急列車、東京〜大阪間三時間への可能性」と題して新幹線構想を披露。7月には国鉄本社内に東海道新幹線に関する「幹線調査室」が設置される。

 しかし――。これは今では想像しにくい話だが、当時、新幹線計画は極めて不人気

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筆者

武田徹

武田徹(たけだ・とおる) 評論家

評論家。1958年生まれ。国際基督教大大学院比較文化専攻博士課程修了。ジャーナリストとして活動し、東大先端科学技術研究センター特任教授、恵泉女学園大人文学部教授を経て、17年4月から専修大文学部ジャーナリズム学科教授。専門はメディア社会論、共同体論、産業社会論。著書に『偽満州国論』、『流行人類学クロニクル』(サントリー学芸賞)、『「核」論――鉄腕アトムと原発事故のあいだ』『戦争報道』、『NHK問題』など。

 

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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