前園真聖氏や市川海老蔵氏は、なぜ失敗しなかったのか? 失敗と成功の例に学ぼう
2019年07月05日
6月24日、吉本興業は、「雨上がり決死隊」の宮迫博之氏や「ロンドンブーツ1号2号」の田村亮氏らを含む11人を「当面の間、活動を停止し、謹慎処分」にしたと発表した。処分の理由は、5年ほど前に特殊詐欺グループとされる反社会的勢力が主催する会合に参加し、金銭を受領したことであるとされている。人気芸人のまさかの不祥事に世間は騒然とした。その後、6月27日には、「スリムクラブ」と「2700」の4人が、3年ほど前、反社会的勢力が出席するパーティーに参加し、金銭を受領していたとして「無期限謹慎処分」とした。どこまで広がるのか、何が真実なのか、連日、テレビやスポーツ紙、インターネットニュースが伝えている。
吉本興業は、宮迫氏や田村氏らの謝罪コメントをホームページに掲載し、その後、「決意表明」と題する文面を発表したが、騒動はおさまるばかりか、逆に火に油を注いでいるようにさえ思える。危機管理という観点からみると、その対応は悪手の連続であるとすらいえる。
雨上がり決死隊
宮迫博之
「この度は世間の皆様、関係者の皆様、並びに番組・スポンサーの皆様に大変なご迷惑をおかけし申し訳ございません。そういった場所へ足を運んでしまい、間接的ではありますが、金銭を受領していたことを深く反省しております。相手が反社会勢力だったということは、今回の報道で初めて知ったことであり、断じてつながっていたという事実はないことはご理解いただきたいです。詐欺集団、そのパーティーに出演し盛り上げている自身の動画を目の当たりにして、情けなく、気づけなかった自身の認識の甘さに反省しかございません。どれぐらいの期間になるか分かりませんが、謹慎という期間を無駄にせず、皆さんのお役に立てる人間になれるよう精進したいと思います。改めて誠に申し訳ございませんでした」
ロンドンブーツ1号2号
田村亮
「特殊詐欺グループの開いた会に、筆者ロンドンブーツ1号2号田村亮が参加した件で、金銭の受け取りがございました。自分の都合のいいように考えてしまい、世間の皆様に虚偽の説明をしてしまった事を謝罪させて頂きます。筆者を信用してくれていた世間の方々、番組スタッフ、関係者、吉本興業、先輩方、そして淳を裏切ってしまった事は謝っても謝り切れないです。ただ、特殊詐欺グループとは本当に知りませんでした。そこだけは信じて頂きたいです。このような行動をとった自分が恥ずかしくて堪えられないです。謹慎期間を通して、自分を見つめ直し二度とこんな行動をしない人間になるようにします」
https://www.yoshimoto.co.jp/corp/news/media/media190624.html
今回、彼らは処分を受け、再起のめどは全く立っていない。しかし、筆者は当初、宮迫氏らが口をそろえて「お金は受け取っていない」という説明を始めた段階で、これは一大事になると確信していた。それは、彼らが「謝罪の鉄則」を守っていなかったからである。
謝罪には、鉄則ともいえるルールが存在する。
筆者がそのように考えるようになったきっかけはテレビの謝罪会見である。謝罪会見を見ていると、ある人は、その後、評価を落としていた。しかし、別の人はその後、逆に評価を上げているように思えた。それは要するに、謝罪には「失敗」と「成功」があることを示している。
トルストイは『アンナ・カレーニナ』において、「幸せな家庭はどれもみな同じようにみえるが、不幸な家庭にはそれぞれの不幸の形がある」と記しているが、それは謝罪の仕方にも当てはまる。つまり、成功する謝罪とは、守るべきルールを守っているため、ある程度「型」にはまることになる。対して、失敗する謝罪とは、守るべきルールを守っていないため、失敗する要因は人それぞれとなる。
今からお伝えする「謝罪の鉄則」とは、失敗したと思われる謝罪を分析して、その要因をまとめたものだ。このルールは、著名人の謝罪会見だけに当てはまるものではなく、読者が家庭や職場などにおいて謝罪をする場合にも当てはまるものだと考えている。ぜひ、ご自身の経験にも当てはめながら読み進めてほしい。
【謝罪の鉄則】
① できるだけ早く行う
② ありのままに語る(うそをつかない)
③ 自分の言葉で語る
③ 時間制限を設けない
④ 決して許しをこわない
以下、一つずつ解説していく。
ゴーストライター問題が話題となった佐村河内守氏の謝罪会見は、成功したとは言い難い事例だろう。それは内容の問題というよりは、謝罪時機を失したことに問題があった。
この件は、2014年2月6日に新垣隆氏の告発会見によって多くの人の知るところになった。その後、佐村河内守氏は、2月12日に自筆の謝罪文を発表。謝罪会見を開いたのは、3月7日、新垣隆氏の会見から実に1カ月も経過した後だった。
テレビの情報番組は、連日にわたってこの問題を取り上げ続け、佐村河内守氏が謝罪会見を開くころには、すでに彼に対する世間からの評価が完了してしまっていた感がある。その結果、謝罪会見では、記者が「まだ手話通訳終わってませんよ」などとちゃかすような発言をするなど、誰も彼の言い分を聞こうとはしていなかったように思う。
ここでの教訓は、謝罪会見は可及的速やかに開く必要があるということである。遅くなればなるほど、報道は過熱し、世間の不信感も大きくなっていく。一度固まってしまった世間の評価を事後に覆すことは極めて難しい。
また、会見を開かずに謝罪文だけで済ませようというのも悪手である。人は文章だけから誠意を読み取ることができない。むしろ「簡単に済ませようとしているのか」と思われ、逆に怒りを買ってしまう恐れがある。誠意とは、表情や声色など言語化できない情報から伝わる部分が大きいのだ。
読者も職場や家庭での謝罪をメールだけで終わらせようとしたことはないだろうか。どうしても時間が作れないときは、せめて電話をして、自分の声で謝罪の意思を伝えるべきだ。
近年、最も話題になった謝罪会見といえば、タレントのベッキーさんだろう。彼女は、音楽バンドのメンバーとの交際関係が疑われたことに対して、会見において「2人でお食事に行かせていただいたこともあります。そして、お正月に長崎のご実家にお邪魔したことも事実です。ただ、お付き合いということはなく、友人関係であることは間違いありません」と釈明した。
しかし、その後、単なる友人関係ではない交際関係にあったことをうかがわせるSNS画像が流出し、窮地に追い込まれた。SNS画像の流出によって、彼女が世間に対してうそをついていたことが明るみとなり、非難はその点に集中したのである。
ここでの教訓は、「誰もが首をかしげるような見え透いたうそはつかない」ということである。謝罪という場においては「自己が非を認めなければ隠し通せるだろう」という甘い考えは捨てるべきだ。特に、誰もがスマートフォンでいつでも録音・録画でき、SNSによる相互監視が進む現代社会においては、自らの行いはどこかにその記録が残っており、いずれ世間に明るみに出ると考えておくべきだろう。「うそはバレる」と思っておいた方がよい。
また、見え透いたうそをついてしまうと、真剣に反省をしていないと思われて逆効果になってしまう。一度そういう事態になってしまうと、もう挽回(ばんかい)は不可能だ。
逆に、自己に不利な点を素直に認めて謝罪することは、実は、真剣に反省していることを相手に伝える最も有効な方法だ。相田みつを氏の詩に「べんかいのうまい人間 あやまりッぷりのいい人間」というものがあるが、後者になることをお勧めする。
やや古い事例だが、大阪の料亭「船場吉兆」の謝罪会見を覚えているだろうか。これは当時名店と呼ばれた船場吉兆が、期限切れや産地偽装の食品を客に提供していた問題である。人々の記憶には、「ささやき会見」とやゆされた謝罪会見の方が残っているかもしれない。
会見で、取締役である湯木喜久郎氏が説明をする際に、母である湯木佐知子氏が横で「頭が真っ白になった」とささやき、それを湯木喜久郎氏がそのまま発言した。その様子はテレビの情報番組で連日のように取り上げられた。結果、ブランドイメージは地に落ち、船場吉兆は廃業に追い込まれた。
ここでの教訓は、「謝罪は自分の言葉で語る」ということだ。始まりから終わりまで他の誰かが作った原稿を読み上げるような謝罪会見があったとしたら、その謝罪に誠意を感じることはできないだろう。謝罪とは「誠意を見せる場」である。あらかじめ原稿を作ることが全て悪いとは言わないが、少なくとも、それは自分自身が推敲(すいこう)を重ねて、自分の言葉で表現したものでなければならない。
また、会見の場で原稿を読み上げるのは避けるべきだ。原稿を読み上げると、どうしても視線は下を向いてしまい、言葉に気持ちが乗らず、誠意が伝わりにくくなるためだ。事前に発言内容を整理したら、後は、自分の気持ちを素直に述べることに注力すべきだ。
言葉に詰まらずによどみなく発言する必要は全くない。むしろ、謝罪会見においてよどみなく明瞭に発言すると「この人は本当に反省しているのだろうか」と思われて逆効果になるリスクさえある。
日本大学アメリカンフットボール部の反則タックル問題の謝罪会見は、珍しい失敗例といえる。指示したのではないかとの疑惑が向けられた監督とコーチが謝罪会見に臨んだが、人々が違和感を覚えたのは司会者の対応であった。司会者は、会見開始から90分が経ったころから、質問が同じような内容になっているなどとして、集まった記者らに対して会見を打ち切ると通告し、記者らと言い争いのような状態になってしまった。
ここでの教訓は、「謝罪会見に時間制限を設けてはいけない」ということである。
謝罪するということは、自分が悪いことをして、そのことをおわびするために「相手の時間をいただいている」のである。この基本的な視点を決して忘れてはいけない。この視点があれば、「謝罪する側が会見を打ち切る」という行いが暴挙に近いことが分かるだろう。それは、謝罪相手に対して非常に横柄な印象を与えてしまうのだ。謝罪する側が腹を立てるようなことがあってはならない。
当然、謝罪をする場合は、その日のその後のスケジュールは全て空けておかなければならない。「次の予定がありますので、謝罪はここまでとさせていただきます」なんていうことになったら、笑い話にもならない。
「TOKIO」の元メンバー山口達也氏が起こした強制わいせつ事件も、分水嶺(ぶんすいれい)となったのは、謝罪会見における一言であった。
彼は、謝罪会見において、「もし待ってくれている場所が、そこにあるんであれば、またTOKIOとしてやっていけたら」と語った。それは涙ながらに絞り出した言葉ではあったが、同時にファンやメンバーに許しをこう言葉でもあった。
これに対して、TOKIOの松岡昌宏氏は、4人のメンバーで臨んだ会見において、「彼の甘ったれたあの意見は一体どこから生まれるものなのだろうと正直思いました」と述べ、厳しく断罪した。
許しをこいたくなる気持ちは分からないではないが、反省がないものとして逆に怒りを買ってしまうことの方が多いだろう。人は、自己保身を図ろうとする人に共感することはできない。
以上が失敗例から考えた謝罪の鉄則だ。
では、謝罪の成功例とはどのようなものであろうか。
筆者が成功した謝罪会見として真っ先に思い浮かべるのは、元サッカー日本代表でタレントの前園真聖氏である。同氏は酒で失敗したが、その謝罪会見は誠意がしっかりと伝わるものだった。
前園氏の対応は、「謝罪の鉄則」を全て満たすものであった。
有料会員の方はログインページに進み、朝日新聞デジタルのIDとパスワードでログインしてください
一部の記事は有料会員以外の方もログインせずに全文を閲覧できます。
ご利用方法はアーカイブトップでご確認ください
朝日新聞デジタルの言論サイトRe:Ron(リロン)もご覧ください