2019年07月03日
住み慣れた土地を離れ、熊本県天草市に移り住む人たちが増えている。同県内では天草市がとりわけ移住の受け入れに熱心で、2008年から移住・定住促進策を本格化させ、昨年度までの11年間で291世帯、569人が移住。17年度の移住者数は106人、18年度が100人と2年連続で100人を達成し、ますます勢いづいている。
6月22日、同市への移住者でつくる天草市セカンドライフネットワークによる移住・定住者意見交換会が同市新和町の新和ひだまり館で開かれた。移住・定住者の交流の場として年2回ほど開かれており、この日が17回目。全国各地からIターンやUターンしたカップルなど約40人に加え、市職員も数人が参加した。自衛隊を退官後、天草にUターンした出永美喜男さん(64)が「天草の歴史ちょっとだけ」と題して講話をした後、参加者たちは昼食をはさんで、近況や情報交換、田舎暮らしの良さなどを語り合った。
この集いで司会役を務めたのが同市地域政策課で「移住・定住コーディネーター」を務める荒毛俊哉さん(64)。移住希望者からの相談などに対し、空き家の現地案内をするなど、きめ細かに対応している。荒毛さん自身も妻の君代さん(65)と千葉県船橋市から移り住んだ移住組だ。海に面した集落の一角に建てたログハウスで義母と次女の4人で暮らす。
荒毛さんは会社員時代、転勤に次ぐ転勤で九州各地を転々としていた。次女の大学進学を機に、「親元を離れた子どもたちに『実家』と呼べる場所を作ってやりたい」と考えるようになった。
九州でさまざまな土地を見て回ったが、「目の前は海、後ろは山。思い描いていた理想に一番近い」とひと目見て気に入り、天草市有明町須子に土地を購入。しばらくは別荘として利用するつもりで新築したログハウスが06年3月に完成したが、その直後に東京勤務に。荒毛さんは君代さんとともに千葉県に引っ越すが、2年足らずで激務と都会生活に疲れて早期退職を決意。53歳で早期退職し、08年4月に夫婦で天草市の家に帰ってきた。
移住後、土いじりが好きな2人は耕作放棄地となっていた土地を借りた。10年以上も放置された荒れ地で、夫婦2人で木の伐採や除草を始め、畑として使えるまでに半年近くもかかった。それでも2人が頑張っている姿を地元の人たちが認めてくれて、機械の貸し出しやお手伝い、さらには新たな畑の提供など地元の人たちからさまざまな支援を受けた。2人の姿を見た周りの人々が、ほかの休耕地の整備を始めるという、うれしい出来事もあった。2人はこの土地にまずブルーベリーの苗木を植え、米、麦、シイタケ、タマネギ……と季節に応じた野菜の栽培に手を広げ、収穫したものは直売所で販売するまでになった。
地域では、冠婚葬祭に限らず、さまざまな行事にも積極的に参加して、地元の住民らと早い段階で親しい関係ができた。「自分が暮らしている集落に何か残していけるように、地元に貢献できるような活動をしていきたい」と荒毛さん。
人口約8万人の天草市は他の多くの地方都市と同様に日本創成会議の発表した「消滅可能性都市」に該当する。近年は年平均1500人のペースで人口が減少しているが、同市は08年に県内でいち早く「空き家バンク制度」を創設した。賃貸や売却を希望する空き家を募り、築年数やライフラインの有無、金額などの情報を移住希望者に提供し、空き家を貸し出すなど移住者受け入れ策を強化してきた。
地方移住を支援する認定NPO法人「ふるさと回帰支援センター」(東京)によると、08年にセンターへの移住相談者の30.4%だった20~40代は徐々に増え、13年には54%に。それまで「主役」だった高齢者にとって代わった。
天草市の移住・定住支援策は住まい・暮らし・仕事・情報の4本柱からなる。「住まい」では、空き家バンク制度をはじめ、「空き家活用事業補助金」として空き家の改修や家財道具の撤去などに上限100万円の補助金が出る。このほか、「田舎暮らしのお試し滞在施設」として短期滞在型(1泊~2週間以内)と長期滞在型(1カ月~1年間以内)の施設も整備している。
「暮らし」では、定住促進奨励金として夫婦の場合は20万円、単身の場合は10万円が1度だけ支給される。市はNPO法人や保健師、医療機関などと連携し、妊娠から出産、子育て期まで切れ目なく親子を支援する取り組みにも力を入れている。15年には、荒毛さんを移住・定住コーディネーターに採用した。現在は3人体制で、
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