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パズルのピースを埋めた百舌鳥・古市古墳群

52カ国の409件を訪ねた筒井次郎記者が読み解く、世界遺産の光と影

筒井次郎 朝日新聞記者

世界遺産1堺市役所展望ロビーから見た大山古墳=2018年11月6日午後4時43分、堺市、槌谷綾二撮影

 歴史の授業でも習った国内最大の古墳、仁徳天皇陵古墳(大山古墳)。あの「大きな鍵穴の形の大古墳」を含む49基の古墳からなる大阪府の「百舌鳥・古市古墳群」が6日、世界遺産に登録されることが決まった。国内の世界遺産としては23件目となる。

 全長486メートルの仁徳陵。それに次ぐ425メートルの応神天皇陵古墳、3番目の履中天皇陵古墳から20メートルほどの小さな古墳まで、「鍵穴の形」の前方後円墳、四角い方墳、丸い円墳と、大小様々な古墳からなる。49基のうち、23基の百舌鳥エリアは堺市、26基の古市エリアは羽曳野市と藤井寺市にまたがる。

 古墳時代の最盛期(4世紀後半~5世紀後半)に、当時の日本列島の中心地に築かれた。国内に16万基あるとされる古墳の中でも、その規模や形の面で最もバラエティーに富み、日本列島を代表する古墳として評価された。堅く言えば、「墳墓によって権力を象徴した日本列島の人々の歴史を物語る顕著な物証」なのだ。

 世界遺産は、国連の機関の一つ、ユネスコ(国連教育科学文化機関)が年1回の世界遺産委員会で登録の可否を決める。世界遺産は、昨年までに世界中で計1092件が登録され、現在アゼルバイジャンで開催中の委員会で、さらに増える見通しだ。

 私は世界遺産の訪問をライフワークにしている。これまでに52カ国の409件を訪ねた。このうち国内は23件すべての遺産を訪れた(構成資産の一部を除く)。その経験も盛り込みながら、「百舌鳥・古市古墳群」の世界遺産の登録について、様々な角度から考えてみたい。

 まず世界遺産の歴史について、簡単に触れる。

百舌鳥大塚山古墳は壊され住宅地になってしまった

 世界遺産という制度ができたきっかけは、1960年代にあった古代エジプトの遺跡の危機だ。エジプト南部、ナイル川のほとりにあるアブシンベル神殿。岩山をくりぬいて紀元前1250年ごろに築かれた巨大な建造物で、古代エジプト王国の権勢を物語る。「文明史の第1ページに刻まれる人類の遺産」ともいわれる遺跡だ。

世界遺産1世界遺産誕生のきっかけとなった「アブシンベル神殿」=エジプト、筆者撮影

 ところが、近代化を進めるナセル大統領が、ナイル川にアスワンハイダムの建設を計画した。完成すると、神殿は人工湖に沈む危機に直面した。

 神殿を救おうと立ち上がったのがユネスコだ。世界中に支援を求め、日本を含む50カ国以上が資金や技術で協力した。神殿を約1千のブロックに切断し、クレーンで高台に移した。この神殿の救済キャンペーンが、国境を超えて歴史的な建物や遺跡を守る機運を生み、世界遺産の理念となった。1972年、ユネスコ総会で世界遺産条約が採択された。

 アブシンベル神殿も、「アブシンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群」として世界遺産登録が始まった1978年の翌年に世界遺産に登録された 。

 このことからも分かるとおり、世界遺産の考え方は「人類にとってかけがえのない貴重な財産、地球規模での貴重な自然を将来に伝えていくこと」である。その面から見ると「百舌鳥・古市古墳群」の世界遺産登録は、意義深いと思う。

 人類の遺産を、戦乱や開発などの破壊で失われる危機から守ることは重要だ。都会の住宅密集地に古墳が点在する百舌鳥・古市古墳にとっての危機は、開発圧力である。実際、戦後の宅地開発などで多くの中小の古墳が壊され、消滅した。1949年には百舌鳥古墳群で5番目に大きかった全長168メートルの「百舌鳥大塚山古墳」は壊され、住宅地になってしまった。同じように宅地開発の危機に直面した「いたすけ古墳」では保存運動が起きた。堺市が400万円で買収し、1956年に国史跡に指定された。

世界遺産1市民が開発から守ったいたすけ古墳には、かつてかけられた橋が残っている=大阪府堺市

 いたすけ古墳は今回の構成資産に含まれる。また、地元自治体は、景観を守るため古墳群の周辺に「緩衝地帯」を設定し、建物の高さなどを制限した。今回の世界遺産登録によって、古墳群は「人類の遺産」として認識が共有されることになり、開発圧力への歯止めになることが期待される。

時代を超えて守り抜いた住民自身の物語こそ世界遺産かも

 世界遺産登録の可否を審査したユネスコの諮問機関イコモスは、5月に公表した勧告の中で「古墳のすぐ近くに地域コミュニティーがある。古墳を守ることへの圧力でも助けでもあるが、地域住民や学校、企業は、古墳の保護やガイド、清掃、景観保護に携わっている」と評価した。

 古墳群が築かれたのは、1500年以上も前の途方もなく昔のことだ。それが当時の形を残したまま現代まで伝わったのは、その間に多くの人々が守り、引き継いできたからに他ならない。世界遺産は、人類が残した貴重な足跡であると同時に、時代を超えて向き合ってきた私たち自身の物語でもあるのだ。

世界遺産1百舌鳥古墳群、中央左が大山古墳=堺市、朝日新聞社ヘリから

法隆寺も石見銀山跡も今は登録直後より観光客減少

 世界遺産は「破壊から守り、将来に伝える」ことと同時に、「観光などへの活用」も期待される。いや、本来は「守り、伝える」ことが目的なのだが、地元からは「観光などへの活用」の本音も垣間見えるのである。

世界遺産「法隆寺地域と仏教建造物群」として国内で最初に世界遺産となった法隆寺=奈良県、筆者撮影
 さて、百舌鳥・古市古墳群は、観光客を呼ぶのだろうか。「世界遺産になれば観光客が増える」という考えは、実は正しくない。例えば、奈良の法隆寺。「法隆寺地域の仏教建造物」として1993年に世界遺産登録されたが、当時年間100万人ほどだった拝観者数は、2018年は60万人を割っている。

 2007年に世界遺産となった島根県の「石見銀山遺跡とその文化的景観」も、登録直後は観光客が急増したが、現在はピーク時の半分以下になり、登録前の水準になっている。

世界遺産「石見銀山遺跡とその文化的景観」で一般公開されている龍源寺間歩の坑道跡=島根県、筆者撮影
 世界遺産に登録されることで認知度が上がり、それに伴い観光客も一時的には増えるが、その後もずっと続くとは限らないのである。観光客が増えすぎ、京都のような「オーバーツーリズム」は必ずしも望ましいことではないが、「活用」という観点からは見れば、観光客の増加は一定の目安になる。

 さて、百舌鳥・古市古墳群である。私見では「世界遺産効果」は、数年間あるかもしれないが、工夫をしなければ長続きしないと考える。

海外の世界遺産は「有名観光地」ではない

世界遺産1世界遺産の代表的な存在でもある「ピラミッド群」=エジプト、筆者撮影
 「守り、伝える」ことが目的である世界遺産は、必ずしも「有名観光地」ではない。実際に1千件を超す世界遺産のリストを眺めると、それを実感できる。

 イタリアの「ベネチアとその潟」、エジプトのピラミッド(登録名は「メンフィスとその墓地遺跡-ギーザからダハシュールまでのピラミッド地帯」)、アメリカの「グランドキャニオン国立公園」、オーストラリアの「シドニー・オペラハウス」・・・・・・。これらはすべて世界遺産だが、あくまでもリストの一部に過ぎない。

カモニカ渓谷イタリアの世界遺産第1号「ヴァルカモニカの岩絵群」=イタリア、筆者撮影
 実は多くは、聞き慣れない遺産ばかりなのだ。例えば、有名観光地がひしめくイタリアの登録第1号は「ヴァルカモニカの岩絵群」。スイス国境に近い北部の渓谷の岩に刻まれた先史時代の絵だが、日本のガイドブックに詳細は載っていない。

 ほかにも「クレスピ・ダッダ」や「ピエモンテとロンバルディアのサクロ・モンティ」など聞き慣れない遺産がある。私はこれらの遺産を実際に訪れた。

世界遺産1「労働者の理想郷」ともいわれた町「クレスピ・ダッダ」=イタリア、筆者撮影
 クレスピ・ダッダは、産業革命期の19世紀末以降、「労働者の理想郷」として築かれた町。サクロ・モンティは、聖地エルサレム巡礼の代わりとして国内に築かれたミニ巡礼地だ。それぞれに見応えがあり、心に響くものがあったが、現地では日本人観光客には会わなかった。人類史上の価値はあるが、産業革命史やキリスト教文化に疎い外国人には、見どころにはなりにくいのだ。

 百舌鳥・古市古墳群と同じ墳墓の遺跡となるとなおさらだ。墳墓の世界遺産は数十あるが、多くは小山だったり、石積みだったりと、見た目にも地味だ。今風に言えば「インスタ映え」しない。観光客を集めるのは、フォルムの美しいエジプトのピラミッド(墓ではないとする説もある)などごくわずかである。

世界遺産1人里離れた森の中にある「サンマルラハデンマキの青銅器時代の石塚群」=フィンランド、筆者撮影
 例えば、フィンランドの「サンマルラハデンマキの青銅器時代の石塚墳」である。人里離れた森の中に、約3000年前に築かれた石を積んだ墓の跡が点在する。フィンランドにある七つの世界遺産の一つだが、日本人どころか、現地の観光客にも会わなかった。土産店もなかった。

 百舌鳥・古市古墳群はどうか。

「インスタ映え」しないからこそ「観光公害」起こらないかも

 仁徳陵などは国内では有名だが、49基にのぼる古墳群のほとんどは知られていない。海外では、仁徳陵も含めてほぼ無名だ。観光地のお薦め度を★の数で評価する「ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン」では掲載すらされていない。つまり、海外から見たら、百舌鳥・古市古墳群は「聞き慣れない世界遺産」なのだ。

世界遺産1大山古墳の拝所=2019年11月6日午後3時1分、大阪府堺市、槌谷綾二撮影

 では、古墳群はどう見るのか。あの特徴的な鍵穴の形の巨大古墳を体感したいのであれば、上空から見るに限る。その大きさは驚異だし、市街地の中に巨大な鍵穴形の森が島のように浮かぶ姿は「インスタ映え」する。そういう人には、セスナ機での遊覧飛行がお薦めだが、金額は少々高い。

 地上から見ようと思うなら、周囲を歩くしかない。ただ、仁徳陵など主要な古墳群は、宮内庁が管理する陵墓のため、中に入ることはできない。横から眺めるだけだ。巨大古墳だと、その一部を見られるにすぎない。陵墓でない古墳の中には登ることができるものもあるが、似たような小山ばかりを見て楽しめるのは、よほどの古墳ファンか、歴史ファンだろう。

 観光客の多くが期待するのは巨大古墳だと思うが、世界遺産として評価された古墳群は「規模や形のバラエティー豊かな古墳群」「当時の政治・社会の構造を表現した古墳群」である。これを知るには他の古墳も見学することが必要だ。地元では古墳をめぐるウォーキングマップを作った。これを周知させるのも、今後も課題だろう。

 ただ、逆にこれまで注目されなかった小さい古墳にも観光客が来るようになると、思わぬ「観光公害」が生じる可能性もないわけではない。市街地に点在する小さな古墳は、生活の中に溶け込んでいるからだ。

百舌鳥・古市古墳群が成功するためのポイント

 一方、観光面に良い影響があるとしたら、地域に「シビックプライド(まちの誇り)」をはぐくむことだ。地域住民に地元の宝を愛する心が深まり、古墳群を案内するガイドも育つかもしれない。古墳群に潜むストーリーを掘り起こし、語ることができれば、単なる小山が違って見えるだろう。観光客は、古墳群を足がかりに地域への関心を増し、その効果は地域全体に広がるにちがいない。

 観光面で成功するための工夫の一つは、

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