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大崎事件再審取り消し決定は明らかに法に反する

最高裁は何のためにあるのか

五十嵐二葉 弁護士

大崎事件で服役し無罪を訴えている原口アヤ子さんの92歳を祝う誕生会。弁護士や支援者らがケーキや花束を贈った=2019年6月7日、鹿児島県志布志市

「ありえない」再審開始取り消し

 全国紙が一斉に1面で報じた。朝日、毎日はトップ。地方紙も筆者が把握した限りでは同様だった。一刑事事件でメディアがこんな扱いをするのは、死刑事件での再審無罪など限られた例しかない。

 1979年鹿児島県で起こった「大崎事件」。鹿児島地裁、福岡高裁宮崎支部と下級審がそろって再審の開始を認めているのを「最高裁が覆すのは初めて」、であるだけでなく92歳の原口アヤ子さんが、40年間無実を訴え続けて、再審もこれで3次にわたっていて、第1次再審の鹿児島地裁も2002年3月26日開始決定を出している。「開かずの門」といわれる再審請求で、3つの下級審が開始するべきだと判断している事件だ。

 各紙が最高裁の決定に「ありえない」「まさか」と見出しを付けたのは、弁護団の反応との形はとっているものの、この事件はえん罪なのに、というメディアの認識が示されている。

 40年前の1979年10月15日、鹿児島県大崎町でN家の末弟(42歳)の遺体がその自宅隣の牛小屋の堆肥の中から見つかった。警察は3日後の18日に、死者の長兄と次兄を殺人・死体遺棄容疑で逮捕。12日後の27日に甥(次兄の息子)を、死体遺棄を手伝ったとして逮捕。15日後の30日に長兄の妻原口アヤ子を殺人・死体遺棄容疑で逮捕し、起訴したのがこの事件の発端だ。

 今回最高裁決定が「当裁判所の判断」として認定したこの事件を客観的な<事実>、有罪判断をした確定判決とそれを引用した最高裁判決による<推理>、その裏付けに用いられている城旧<鑑定>に分けて簡単に見ていくと客観的事実はごく少なくて、刑事事件とされた部分は推理とそれに沿う「城旧鑑定」(城鑑定は後でもう一度出されているので区別のためこう呼ばれる)のつまみ食いで成り立っていることが分かる。

<事実①> 10月15日、大崎町でN家の末弟の遺体がその自宅隣の牛小屋の堆肥の中から見つかった。
<鑑定①> 遺体の肺には吸い込まれた堆肥の成分がない。
<推理①> 遺体は死んでからここに運ばれた。
<事実②> 3日前の10月12日、末弟は泥酔して近くの側溝に自転車ごと落ちて意識のない状態を近所の男性2人が見つけて引き上げ、自宅に運んでくれた。
<推理②> 末弟はこの時は生きていた。
<推理③> <推理①>と合わせて、このあと誰かに殺された。
<推理④> 死者の家は長兄、次兄「方に隣接しており、これらの敷地はそれぞれ周囲を崖や林に囲まれていることなどから、夜間、死者方敷地内に立ち入る者として」長男、次男「方の居住者か、これらの居住者宅への来訪者以外は現実的には推定しがたい」。

 殺人と死体遺棄はこの「推定」に合う4人が「夜間」におこなったのだという推理。第一小法廷が自ら言っている推理で、警察が、2週間かけて知的障害のある長兄と次兄をまず自白させて、アヤ子さんを逮捕、一度も虚偽自白しなかった彼女を含めて4人が逮捕起訴されて、有罪とされて、服役させられ、何十年もの苦難の人生を歩まされることになった。再審開始決定取り消しという結論だけでなく、この決定内容は「ありえない」「あるまじき」決定だった。

最高裁の決定後に記者会見する森雅美・弁護団長(左から2人目)ら=2019年6月26日

第一小法廷は判例違反を侵した?

 「日本の裁判所は上に行くほど悪くなる」弁護士や冤罪支援者など関係者の間で、戦後長い間言われてきたことで、1審の無罪判決が、高裁で直接有罪と自判され、或いは有罪方向で差し戻される。最高裁はさらに厳しいという傾向だった。それが

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