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当事者でもないのに当事者のフリをする人たち

ネット社会に横行する奇妙な論理

赤木智弘 フリーライター

拡大川崎に児童殺傷事件現場に供えられた花や菓子=2019年5月29日

「死にたいなら一人で死んでくれよ」

 5月28日に発生した、川崎市登戸でスクールバスを待っていた小学校を狙った殺傷事件は、日本中に大きな衝撃を与えた。容疑者(51)は小学生らを刺した後、自らの首や肩などを刺して死亡した。

 引きこもりだったという容疑者に対し、落語家の立川志らく氏が「死にたいなら一人で死んでくれよ」とテレビでコメントを行った。

 これに対し、社会福祉活動を行っている藤田孝典氏が「一人で死んでくれよ」という発言は問題であると論じたところ、ネットでは「藤田と言うやつが、犯人の側に寄り添っている! けしからん!!」と騒ぎになった。

 僕がこの騒ぎに気づいたときには、あまりに多くの人から「加害者を思いやるとは何事だ!」と叩かれているので、てっきり批判されている文章には「被害者はさんざん苦しんできたのだから、私立のいい学校に通うような子供を殺しても当然だ!」くらいの、被害者を見下した酷いことが書かれているのかと思った。

 ところが、藤田氏の批判されている文章を読んでみたところ「次の凶行を生まないために、一人で死んでくれなどの言説を流布しないでほしい」という、とても穏当としか言いようのない文章だった。

 藤田氏を始めとした、「一人で死んでくれよ発言」を批判する人たちは、引きこもりなどの生きづらさを抱えて生きている人たちが自暴自棄になることや、また、引きこもりに手を焼く周囲の人達が、ふとした瞬間に抱きがちな「死んでくれればいい」という気持ちが肯定されてしまうことを心配しているのであり、そこに殺傷事件の犯人を擁護する要素はまったく存在していない。

 にもかかわらず、ネットでは志らく氏の言葉は「当事者の気持ちを思いやる言葉」。一方で藤田氏の言葉は「加害者に寄り添う言葉」として扱われてしまった。

 この事件で、僕は奇妙な論理形成を目にした。

 それはこれまでの凶悪犯罪でも常々行われてきた論理形成だし、そうした論理に疑問を抱かない人がほとんどである。

 しかし今回は、その数日後に発生した殺人事件への世間の反応を含めて、その論理形成の危うさを発見させるに十分な奇妙さだった。 

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筆者

赤木智弘

赤木智弘(あかぎ・ともひろ) フリーライター

1975年生まれ。著書に『若者を見殺しにする国』『「当たり前」をひっぱたく 過ちを見過ごさないために』、共著書に『下流中年』など。