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拡大阪神・淡路大震災で倒壊した高速道路の高架=1995年1月17日

平成の被害地震と地震防災対策

 平成元(1989)年は、天安門事件、ベルリンの壁崩壊、冷戦終結など、世界が激動した年である。日本では、消費税が導入され、年末には日経平均株価が史上最高値になるなど、バブルの絶頂期であった。

 平成の30年間には、1995年兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)や2011年東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)など数多くの被害地震が発生した。耐震工学にとっては多難な時代だったが、様々な教訓も得た。免震や制振などの新たな耐震技術が普及し、強震動の理解や耐震改修の進展など、耐震工学の成果が大きく花開いた時代でもあった。その間には、建築基準法の改正や耐震基準の性能規定化、構造設計一級建築士制度の創設、長周期地震動対策などの施策が進んだ。一方で、耐震強度偽装事件、免震装置や杭打ちのデータ不正などの負の事件も発生した。

 そこで、平成の30年間の被害地震を振り返ると共に、そこで得られた教訓、耐震に関わる新たな技術や施策、地震防災対策の動向についてまとめてみる。

地震が頻発した平成

 平成の30年間は昭和後半の30年間に比べ、被害地震の発生数も、死者数も遥かに多い。昭和後半の30年間と、平成の30年間を比較すると、昭和には、震度7の地震は1つも無かったが、平成には、兵庫県南部地震、2004年新潟県中越地震、東北地方太平洋沖地震、2016年熊本地震の前震と本震、2018年北海道胆振東部地震と6度も記録した。昭和後半に起きた地震の最大死者は日本海中部地震の104人だが、平成には、2万人近い犠牲者を出した東北地方太平洋沖地震や6千数百人の犠牲者を出した兵庫県南部地震など、死者200人を超える地震が4つもある。

 昭和後半の西日本の内陸直下で起きた地震は1961年北美濃地震、1968年えびの地震、1984年長野県西部地震くらいだが、平成には、兵庫県南部地震、2000年鳥取県西部地震、新潟県中越地震、2005年福岡県西方沖地震、2007年能登半島地震、2007年新潟県中越沖地震、2011年長野県北部地震、2011年静岡県東部地震、2014年長野県北部地震、熊本地震、2016年鳥取県中部地震、2018年島根県西部地震、2018年大阪府北部地震など、10個以上の被害地震が起きている。南海トラフ沿いでの巨大地震が発生する30~40年前から地震の活動期を迎えると言われる。南海トラフ地震発生の準備過程と言えるかもしれない。

平成の被害地震

 平成の30年間の地震を振り返ってみる。平成の初期は、1990~91年に雲仙普賢岳の噴火があったものの、大きな地震は1993年釧路沖地震までは起きなかった。その後は、奥尻島を津波が襲った1993年北海道南西沖地震、北方領土を襲った1994年北海道東方沖地震、三陸はるか沖地震など、北海道周辺での地震活動が活発だった。

 1995年に起きた兵庫県南部地震では、震度7の強烈な揺れで建築物や土木構造物が甚大な被害を受け、6千人を超す犠牲者を出した。その後の約十年間は、鳥取県西部地震、2001年芸予地震、新潟県中越地震、福岡県西方沖地震、能登半島地震、新潟県中越沖地震など、西日本での地震活動が活発だった。

 一方、2003年十勝沖地震では長周期地震動によるタンク火災が着目され、東北地方では、2005年宮城県沖地震、2008年岩手・宮城内陸地震が続き、2011年三陸沖の地震の2日後に、東北地方太平洋沖地震が発生した。大津波と原発事故に加え、長周期地震動や液状化、ため池決壊、タンク火災、天井落下、帰宅困難など様々な被害が発生した。地震後、多くの余震に加え、長野県北部地震、静岡県東部地震、福島県浜通り地震などの誘発地震が発生した。

 2016年には熊本地震や鳥取県中部地震が起き、2017年には島根県西部地震と大阪府北部地震に続き、北海道胆振東部地震が発生した。この地震では、広域の土砂崩れやブラックアウトによる全道停電が話題になった。

 被害地震を経験する中、耐震対策や地震防災対策のあり方も大きく変わった。中でも兵庫県南部地震と東北地方太平洋沖地震の与えた影響は大きい。

兵庫県南部地震後の耐震対策

 兵庫県南部地震の甚大な被害は、旧耐震基準による既存不適格建物の存在が主な原因だった。震災後、耐震改修促進法が制定され、耐震化の推進が図られた。被害の中心は古い木造家屋であり、重要・先端構造物に偏りがちだった耐震研究のあり方に一石を投じた。この地震を受けて、耐震化の実証研究のため、兵庫県三木市に世界最大の振動台E-ディフェンスが建設された。

 観測記録は少なかったものの、揺れの強さは耐震基準で想定した揺れを上回るものであり、新耐震基準の妥当性が確かめられた。一方で、建物階数による被害率の差が明確に認められ、建築物の真の耐震的実力に関する疑問は残ることになった。

 当時に普及し始めていた免震建物が、地震の揺れを大きく減じたことで、免震の有用性が実証され、地震後、免震建物が急増した。そして、その後、免震・制振技術の向上や強震動予測研究の推進につながった。

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筆者

福和伸夫

福和伸夫(ふくわ・のぶお) 名古屋大学減災連携研究センター長・教授

1957年に名古屋に生まれ、81年に名古屋大学大学院を修了した後、10年間、民間建設会社にて耐震研究に従事、その後、名古屋大学に異動し、工学部助教授、同先端技術共同研究センター教授、環境学研究科教授を経て、2012年より現職。建築耐震工学や地震工学に関する教育・研究の傍ら、減災活動を実践している。とくに、南海トラフ地震などの巨大災害の軽減のため、地域の産・官・学・民がホンキになり、その総力を結集することで災害を克服するよう、減災連携研究センターの設立、減災館の建設、あいち・なごや強靭化共創センターの創設などに力を注いでいる。

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