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「破天荒ボクサー」が闘うジム制度の闇

元アジア太平洋王者・山口賢一の挑戦

片田直久 フリーライター

映画『破天荒ボクサー』(東京・新宿のK's cinemaで公開中) (C)ノマド・アイ 

リング外での「もう一つの闘い」

 1本のドキュメンタリー映画がボディブローのような有効打となりつつある。やがて日本のプロボクシング界を変える契機となるかもしれない。

 K's cinema(東京・新宿)で7月6日に公開された『破天荒ボクサー』(武田倫和監督)。プロボクサー・山口賢一のキャリア終盤を追いつつ、リング外での「もう一つの闘い」にも迫った意欲作だ。「東京ドキュメンタリー映画祭2018」で準グランプリを受賞している。

 映画のストーリーを簡単に紹介しておく。山口はもともと大阪帝拳ジム所属。大阪帝拳といえば、辰吉丈一郎や渡辺二郎、六車卓也ら世界王者を数多く輩出した名門だ。

 2002年のデビュー以来、11連勝。「次は日本王座挑戦」の機運が高まるが、タイトル戦は組まれない。期待する後援会長とジムとの板挟みとなり、人間関係で悩んだ山口は09年、JBC(日本ボクシングコミッション)に引退届を提出。海外のリングに活路を求めた。

 同年、WBO(世界ボクシング機構)アジア太平洋スーパーバンタム級暫定王座を獲得。WBOは当時、JBCが承認していない団体だった。さらに日本人初のWBO世界フェザー級王座に挑戦。王者オルランド・サリドに、11ラウンドKOで敗れた。

 山口は11年、大阪市北区に大阪天神ジムを開設。JBCには加盟せず、活動を開始した。同じくJBCに引退届を提出した盟友・高山勝成を山口は支援。高山は13年、IBF(国際ボクシング連盟)世界ミニマム級王座奪取に成功する。

 当時、JBCはWBA(世界ボクシング協会)、WBC(世界ボクシング評議会)以外の世界王座を承認していなかった。だが、両団体とIBF、WBOの4団体を「メジャー」とみなすのが世界の趨勢。山口らの挑戦はJBCにIBF、WBOへの加盟を促すきっかけとなった。余談だが、かつて日本のボクサーが過酷な減量を強いられた理由の一つはWBA、WBCしか認めないJBCの姿勢にある。数少ないチャンスをものにするために、適正とはいえない階級でも挑まざるを得ない時代があった。

 7年間にわたる海外での経験は山口のボクシング観を大きく変えた。「自分の考え方と経験をいつか日本に持ち帰ろう」──意を強くしていた15年、OPBF(東洋太平洋ボクシング連盟)タイトル戦のオファーが舞い込む。

 山口はこれを機に日本に活動の場を移すことを決意。だが、ライセンスを持たない選手が国内でタイトルに挑戦することはできない。山口は「JBC復帰」という条件を突きつけられる。タイトル挑戦と、ボクサーがもっと自由になれる環境を現実のものとするため、山口はかつて袂を別った大阪帝拳とJBCへ話し合いに向かう──。

「日本のジム制度は『会社』ですわ」

映画『破天荒ボクサー』(東京・新宿のK's cinemaで公開中) (C)ノマド・アイ 
 やや煩雑だが、ストーリーを通じ、山口の「もう一つの闘い」を理解していただけただろうか。問題の背景にあるのは日本のプロボクシング界特有の「ジム制度」である。

 プロを目指す選手はJBCに加盟するジムに所属しなければならない。JBCが発行するプロライセンスを取得してからも、ボクサーはトレーニングはもちろん、マネージメントやマッチメイク、ファイトマネーの交渉など、活動の大半をジムに委ねることになる。

 ジム制度はプロスポーツの運営システムというより、

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