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リニアは「シンデレラ・エクスプレス」になれるか

武田徹 評論家

リニア中央新幹線の「L0系」=山梨県都留市小形山の実験センターリニア中央新幹線「L0系」=山梨県都留市小形山の実験センター

 その時、筆者は郊外の新しい造成地をとぼとぼと歩いていた。

 5月といえ日差しは既に初夏を思わせた。道路はまっすぐに高校の校舎に向かっており、遠い校門前に3人の女子高生の姿が見えた。

 彼女たちは、なぜかこっちを見て微笑んでいるようだ。自意識過剰による人違いではない。その時、歩いているのは前後左右に筆者たったひとりだったのだ。

 距離を詰めてゆくと彼女たちの意図がわかった。校門の中に学園祭の模擬店のような売り場スペースが用意されており、彼女たちは歩行者をそこに招こうとしているのだ。ならば、ひやかしてゆこうとテーブルに置かれた売り物を見てみるとパッケージに入れられた味噌だった。

 「自分たちで作ったの?」。尋ねると若い笑顔が弾けた。

 「そうですよ。買ってください!」

 神奈川県立相原高校は1923(大正12)年に県立農蚕学校として開校された由緒ある学校で、現在は畜産科学科、食品科学科、環境緑地科、総合ビジネス科の4学科がある。自製した味噌を近隣住民に売っていても不思議ではない。

 せっかくだからとひとつ買ったら大いに感謝されたが、彼女たちなりに多少の屈折した思いもあったのではないかと推測する。

 もし去年までだったら――。2019年3月まで相原高校は京王相模原線とJR横浜線・相模線の橋本駅前にあり、4月に今の場所に移転したばかりだった。創立後、交通の要衝として大きく発展した市街地の中心部で畜産や農業の実習を行うことには無理も生じ始めていたのだろう。だが、移転は教育上の理由だけではなかった。

相原高校神奈川県立相原高校の旧校舎=撮影・筆者

 2013年、品川を出たリニア中央新幹線が最初に通過/停車することになる駅の場所を、神奈川県、相模原市が誘致していた橋本駅前の相原高校の地下に決定したことをJR東海が公表する。これを受けて相模原市は2016年に広域交流拠点計画を策定。橋本駅前周辺の再開発を進めることになった。

 筆者が高校の跡地を訪ねたときには、旧校舎は残っていたがもちろん人気は絶えており、既に校門の銘板も外されていた。

 訪問者のために新校舎の場所が掲示されていたので、バスに約15分揺られて訪ねてみた移転先のキャンパスは広く、生徒たちは存分に羽を広げているようだった。だが、去年までのキャンパスだったら、周囲に駅前ゆえの賑わいもあり、校門で物販をしたら近隣の客がひっきりなしに訪れていたのに、との思いも、売り子を務めていた女子高校生には正直あっただろう。

 乙女心にそんな思いをさせることになるリニアモーターカーの研究が始まったのは、実はかなり古く、62年に鴨宮・綾瀬のモデル線区で東海道新幹線の営業に向けた実験が始まった時期だったことは前回書いた。

 66年には米国のブルックヘブン国立研究所で、駆動するだけでなく、車両を浮かせることにも磁力を使う方法が提案される。交通渋滞に巻き込まれてデートに遅れてしまった研究者が思いついたという(村上雅人ほか『超電導リニアの謎を解く』C&R研究所)。

 70年に高速鉄道講演会で超電導磁気浮上列車の開発に着手することを国鉄が発表し、日本に鉄道が引かれてちょうど100年目となる72年には、東京・国分寺市の鉄道総合技術研究所構内にリニア駆動用のコイルを仕込んだ長さ480mの軌道上を、極低温に冷却して電気抵抗をなくし、強力な磁力を発生させる超電導磁石を積んだ車両が走った。4人乗りの小型試験車両ML100は漫画に出てくる空飛ぶ自動車のようで、いかにも未来的だったが、試験所内でせいぜい60km/hで浮上走行をしているだけで、まだまだ現実の日は遠いと考えられていた。

 77年には宮崎県日向市に延長7kmの宮崎リニア実験線の建設が完成、79年に試験車両ML500が517km/hの世界最高速度を記録している。ML500は軌道を跨(また)ぐ構造だったので車内スペースがなく、人が乗ることはできなかった。

宮崎リニア実験線で走行試験を重ねた無人実験車「ML500」=1977年、宮崎県日向市宮崎リニア実験線で走行試験を重ねた無人実験車「ML500」=1977年、宮崎県日向市

「JR東海主体」のリニア中央新幹線計画

 こうして着実に成果は出していたが、どこか“未来の鉄道ごっこ”的な雰囲気だったリニア計画が、にわかに現実味を帯びたのは、87年に国鉄民営化が実施されてからだ。葛西敬之・JR東海現名誉会長が自著でこう書いている。

 国鉄分割民営化の枠組みでは超電導リニアの研究開発は鉄道総研が引き継ぐことになっていたが、鉄道総研の予算はJR各社の拠出によっており、研究テーマの予算配分には各社の同意を得る必要があった。一方、この技術を実用化する路線は中央新幹線だけであり、それは東海道新幹線のバイパスであった。 
 鉄道総研は国鉄の開発したリニア技術を引き継いでいるが、超電導リニアを統合された輸送システムとして完成させるためにはどうしても高速鉄道の運用経験が不可欠であり、それもJR東海にしかなかった。そのためJR東海が独自に資金を出して技術開発を進めることに異論を唱えようがないはずであった。この点に着目し、「リニア対策本部」を設置することにしたのである(『飛躍への挑戦』WAC)

 他のJR会社にはまた別の言い分がありそうな気もするが、とにかくJR東海はリニア対策本部の設置に先手を打ち、鉄道総合技術研究所および日本鉄道建設公団と三者共同のプロジェクトチームを結成してリニア新幹線の実現を目指すことになる。

 その際の切り札が自己負担原則だった。1000億円をリニア新幹線実験線のために供出することをいち早く決め、JR各社や政治家、省庁が“金も出すが、口も出す”のを防いで、調整で時間を浪費することなく89年の実験線建設決定にこぎ着けている。

山梨県にあるリニアモーターカーの試験場1997年 山梨県大月市リニアモーターカーの試験場=山梨県大月市、1997年

 この実験線は97年に延長18.4km(後に42.8kmに延長)で完成し、試験走行を始めている。2007年には中央新幹線の東京・名古屋間を自己負担で建設することを取締役会で決定。2010年に交通政策審議会にリニア新幹線建設について諮問し、翌年にはJR東海がリニア中央新幹線の営業主体、建築主体の指名を受けている。同年に東京・名古屋間の整備計画が決定され、2014年には工事実施計画が認可された。

駅やトンネルの工事は始まっているが…

リニア中央新幹線の名古屋駅新設工事現場。中央はこの工事現場のために作られた重機「りゅうじくん」=2019年3月7日、名古屋市中村区リニア中央新幹線の名古屋駅新設工事現場。中央はこの工事現場のために作られた重機「りゅうじくん」=2019年3月

 その後の進捗状況を東海道新幹線品川駅の上に建てられたJR東海品川ビルの広報室で話を聴いてみた。それによれば駅に関しては品川駅と名古屋駅で工事が先行して進んでいる。これについては「今の新幹線駅の地下を使います。難易度が高く工期の長い品川駅と名古屋駅の工事を精力的に進めている」そうだ。山岳部でも同じく難工事が予想される南アルプスで本線トンネルの工事が始まっている。

 都市部では路線部分のトンネル自体はまだ掘り進められていないが、東京、名古屋の

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