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警察が安倍首相の演説をヤジった人を排除したわけ

北海道警察の行為は「違法」。元道警警視長が緊急苦言!

原田宏二 警察ジャーナリスト 元北海道警察警視長

自民候補の応援に駆けつけた安倍晋三首相=2019年7月15日午後4時58分、札幌市中央区

選挙は警察の監視下で行われている

 札幌市中央区であった安倍晋三首相の参院選の街頭演説の際、演説中にヤジを飛ばした市民を北海道警の警官が取り押さえ、演説現場から排除したことが非難を浴びている。

 私は現職中に選挙違反事件を捜査する捜査第二課長や警察署長、方面本部長を務めた。その経験から、警察のやった排除行為は法律的な根拠を欠く違法な行為ではないかというのが私の結論だ。

 背景には、残念なことに、戦後74年たつというのに、未だに民主主義の根幹とされる選挙が警察の監視下で行われているという現実がある。

 朝日新聞によると、安倍首相はJR札幌駅前で7月15日午後4時40分ごろ、選挙カーに登壇。自民党公認候補の応援演説を始めた直後、道路を隔てて約20メートル離れた位置にいた聴衆の男性1人が「安倍やめろ、帰れ」などと連呼し始めた。

 これに対し、警備していた制服・私服の警官5、6人が男性を取り囲み、服や体をつかんで数十メートル後方へ移動させた。また年金問題にふれた首相に対して「増税反対」と叫んだ女性1人も、警官5、6人に取り囲まれ、腕をつかまれて後方へ移動させられた。

 いずれのヤジでも、演説が中断することはなかったとされている。

 道警警備部は取材に対して「トラブル防止と、公職選挙法の『選挙の自由妨害』違反になるおそれがある事案について、警察官が声かけした」と説明したとのことだ。

 道警の言う自由妨害は、公選法225条にある。「交通若しくは集会の便を妨げ、演説を妨害し、又は文書図画を毀棄し、その他偽計詐術等不正の方法をもつて選挙の自由を妨害したとき」と定められている。選挙の「演説妨害」について、1948年の最高裁判決は「聴衆がこれを聞き取ることを不可能または困難ならしめるような所為」としている。

自民党総裁選最終日、安倍晋三首相の街頭演説中に「安倍辞めろ」の大合唱が広がった=2018年9月19日、東京・秋葉原

「現行犯逮捕」でなければ何なのか

 私も動画と写真で確認した。

 「安倍やめろ」のヤジは、一国の総理に対する言葉としては無礼かも知れない。しかし、選挙演説にはヤジはつきものだ。この程度のヤジが自由妨害にあたる行為とはとても思えない。

 写真、動画で見る限りは、数人の男性が抱えるようにして取り囲み、自由を拘束している状況が明らかに見られる。これは自由を拘束しているのだから、私はてっきり「現行犯逮捕した」と思った。

 しかし、どうやら現行犯逮捕ではなかったようだ。逮捕ではないとしたら何なのか。

 考えられるのは、警察官職務執行法5条の「犯罪の予防及び制止」だ。「警察官は、犯罪がまさに行われようとするのを認めたときは、その予防のため関係者に必要な警告を発し、又、もしその行為により人の生命若しくは身体に危険が及び、又は財産に重大な損害を受ける虞(おそれ)があつて、急を要する場合においては、その行為を制止することができる」とある。

 道警警備部の「『選挙の自由妨害』違反になるおそれがある事案について、警察官が声かけした」という説明は「犯罪の予防のために警告した」という意味なのかもしれないが、声かけの内容は判然としない。

 では、自由を拘束する行為は何か。強いていえば犯罪の制止だろう。

 しかし、犯罪の制止は、「人の生命若しくは身体に危険が及び、又は財産に重大な損害を受ける虞(おそれ)があって急を要する場合」が条件だ。この現場にそうした状況があったとは思われない。

 今回、警察のやった排除行為は法律的な根拠を欠く違法な行為ではないかというのが私の結論だ。

 道警は批判が高まるなか、「公選法違反のおそれ」との説明を「事実確認中」と変えた。

 道警は7月16日の朝日新聞の取材には「トラブル防止と、公職選挙法の『選挙の自由妨害』違反になるおそれがある事案について、警察官が声かけした」と説明していた。西村康稔官房副長官は17日午前の記者会見で今回の問題を問われ、「(警察の対応は)公職選挙法の規定に基づいて適切に判断をされると考えている」と述べた。しかし同日に道警は公選法違反については「事実確認中」と見解を変えた上で、行為の法的な根拠については「個別の法律ではなくトラブル防止のため、現場の警官の判断で動いている」と説明。対応に問題がなかったのかとの質問には「今の時点ではない」と答えた。

 突然の説明変更は理解できないが、道警はおそらく先の説明では対応できないと判断したのだろう。

 警察庁の指摘もあっただろう。「個別の法律ではなく」というのは、道警警備部は、身体を拘束している事実は動画などから否定できない、警察官職執行法5条の制止も緊急状態にないから使えない、つまり、法的な根拠がないことに気が付いたのだろう。

責任は下に下に

 警察官の職務執行は、具体的な法的な根拠、例えば、警察官職務執行法による職務質問、道路交通法による車両の停止などだ。

 しかし、実際には、警察は警察法2条(警察の責務)「警察は、個人の生命、身体及び財産の保護に任じ、犯罪の予防、鎮圧及び捜査、被疑者の逮捕、交通の取締その他公共の安全と秩序の維持に当ることをもつてその責務とする」を根拠に「事実行為」と称して様々な活動を行っている。例えば、警察は犯罪捜査などに備えて、さまざまな個人情報を収集している。それも警察法2条を根拠に許されると説明している。

 しかし、そうなると警察は治安維持のためなら具体的な法的な根拠もなく何でもできることになる。しかも、警察法は警察の組織を定めた法律であり、警察官の権限を定めたものではない。無論、これを根拠に強制力を行使することはできない。

 「トラブル防止」という説明の意図も分かる。ヤジが公選法の自由妨害に当たるとするには無理があると判断したからだろう。多くの市民が集まる場所の事件・事故の防止活動は「雑踏警備」と呼ばれ、地域部門が担当する。

 しかし、今回の現場を指揮していたのは警備部門だ。警備部門というのは公安部門ともいわれ、かつての特高の流れを汲む。警備部門が乗り出してきたのは「安倍晋三総理の街頭演説に伴う警護活動」の一環と考えていたからだろう。

 現場には演説妨害を阻止する「制圧班」のほか、録音・録画の「採証班」、日ごろから政府批判を繰り返す人物に対する「監視班」、それにこれらを統括する「指揮班」が配置されていたに違いない。

 「通常の活動」とか「現場の警察官の判断で動いている」という説明も、こうした大規模な体制を組んでいたことを隠すためだろう。明らかに組織的にやった行為なのに、批判を浴びると現場の責任に転嫁する意図がみられる。

 道警裏金問題のときは、幹部はヤミ手当を受け取りながらも、私的流用を認めなかった。「責任は下に下に」。現場のせいにして隠蔽しようとする体質は、裏金問題のときと同じで変わっていない。

特高時代の代物の復活

 こうした警察のやり方をみると、戦前の行政執行法(明治33年)1条の予防検束「暴行、闘争その他公安を害する虞(おそれ)のある者に対する処分」が復活したような気さえする。「やりそうなやつの身柄を拘束してしまう」という特高時代の代物だ。

 3年前の参院選では、大分県警の別府署が民進党現職らの支援団体が入居する大分県別府市の建物の敷地内に無断で立ち入り、隠しカメラを設置して監視していたことが発覚した。これも法律的な根拠を欠く違法行為だ。

 警察は法律の執行機関として、誰よりも厳しく法律を順守する姿勢が求められると思う。しかし、残念ながら警察内部には「治安維持にためなら多少の違法行為は許されるのではないか」という誤った風潮がある。GPS捜査が最高裁で違法とされたのはその典型だ。

 最近、共謀罪のようにそれまで犯罪ではなかった市民の行為が犯罪とされる法律ができたが、こうした警察内部の風潮が一層強くなっているのではないかと思わざるをえない。

 私は演説を聴きにきた人がヤジを飛ばすことも選挙への参加のひとつの形態だと思う。ヤジを飛ばすというのは政権に対する一つの批判行為かもしれないけれども、札幌の人にとっては首相に対して直接抗議する唯一の場、選挙に参加する行為ともいえよう。

 品があまりよくないかもしれないが、有権者がヤジも飛ばせないような選挙は民主主義の選挙ではないと思う。

 警察が過剰な警備で市民を選挙から「けしからん」と一方的に排除するのは民主警察のやることではない。

公開中の映画「新聞記者」には内閣情報調査室が登場する ©2019『新聞記者』フィルムパートナーズ

警察は政治的に中立でありえない

 それは警察と選挙取り締まりの仕組みに関係があると私は考えている。

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