届かぬ40年にわたる無実の訴え
2019年07月23日
いったい、いくつの壁が、彼女の前に立ちはだかるのでしょうか。
鹿児島県大崎町で1979年に男性の変死体が見つかった「大崎事件」で、裁判のやり直し(再審)を求めていた原口アヤ子さん(92)の再審開始決定が最高裁で取り消されて約1カ月になります。原口さんは大崎事件で主犯とされ、殺人罪などで懲役10年の刑に服しました。
取り調べ段階からこの40年、原口さんは一度も罪を認めたことはありません。服役中も刑務官から仮釈放を3度も勧められましたが、仮釈放を認めてもらうためには、罪を認め、反省の情を示さなければならないことから、「やっていないことは認めるわけにはいかない」とすべて断りました。
10年の刑を勤め上げ、出所したときには、父親も母親も亡くなっていました。周囲からは「元殺人犯」という厳しい目を向けられました。それでも、地元の大崎町に戻り、身を隠すこともなく、逃げ出すこともなく、無実を訴え続けてきました。
無実の罪を晴らすために裁判のやり直しを求め続け、開かずの扉と言われる再審の開始決定をこれまで3度、受けています。しかし、そのたびに検察が抗告、最終的に裁判所が開始決定を取り消しました。今回もまた、最高裁が、3度目の扉を閉めてしまいました。
ただただ無実の罪を晴らすためだけに生きてきたといっても過言ではない原口さんはこの6月で92歳になりました。かつては「鉄の女」と言われたほどの強い女性でしたが、いまやその面影はなく、話すこともままならなくなっています。ここ数年は、鹿児島県内の病院で、雪冤を果たすためだけに、命の炎をともし続けてきました。
ですが、最高裁は6月25日付けで、鹿児島地裁、福岡高裁宮崎支部の再審開始決定を取り消し、請求を「棄却」、再審開始を認めない決定を出しました。
本来なら「(原決定と原々決定を取り消して、事件を原審に)差し戻す」とすべきところを、最高裁が自ら判断して再審請求を「棄却」したことが問題だと、弁護団の佐藤博史弁護士は指摘します。「地裁、高裁が再審開始を認めていたのに、最高裁がそれを破棄して、再審請求を棄却したのは、史上初。前例のない、初めての判断」だそうです。その後、弁護団から出された異議申し立てにも最高裁は耳を傾けず、決定は確定しました。しかも、この最高裁の判断は第1小法廷の5人(小池裕、池上政幸、木澤克之、山口厚、深山卓也の各裁判官)の全員一致の判断でした。
「世紀の大誤判だ」と佐藤弁護士は言います。
大崎事件はどんな事件なのでしょうか。
1979年10月15日に、大崎町の自宅の牛小屋の堆肥の中から、原口さんの夫(当時)の3番目の弟(当時42)の変死体が見つかりました。警察は原口さんが主犯の、保険金を狙った殺人事件、と見立て、原口さんの夫、夫のすぐ下の弟、その弟の長男、つまり原口さんにとってはおいの3人を殺人と死体遺棄容疑で逮捕、その後、原口さんを逮捕しました。前述したように原口さんは「あたいは、やっちょらん」と否認し続けました。
被害者はタオルで絞め殺されたとされましたが、凶器であるそのタオルは特定されていません。物証はなく、証拠は、共犯とされた、原口さんの夫ら3人の「自白」でした。一審の鹿児島地裁は、原口さんに懲役10年、夫に8年、義弟に7年、おいに1年の判決を言い渡しました。もともとは保険金が目的の殺人事件として立件されましたが、殺人の動機が保険金目的であるとする検察官の主張は認められませんでした。
共犯とされた3人はいずれも控訴せずに刑が確定しましたが、その後、警察の厳しい取り調べで「自白」させられたことを告白します。3人には知的障害がありました。知的障害のある人は厳しい取り調べを受けると、誘導されやすいことが最近は明らかになっています。
一方、原口さんは控訴し、最高裁まで争いましたが、棄却され81年に刑が確定しました。
共犯とされた3人は刑に服した後、義弟は87年に自殺、元夫は93年に病死、おいも服役したことを苦にしてノイローゼになり、2001年に首をつって自殺しました。
服役後の原口さんは、「警察に『自白』させられたが、再審請求はしない。静かに暮らしたい」という夫と離婚しました。それでも、大崎町に住み続け、隣町まで1日4千円のピーマンちぎりの仕事をするなどして生活しながら、冤罪を訴えてきました。
第1次再審請求では、02年3月に鹿児島地裁が開始決定を出しました。しかし、検察が即時抗告をし、福岡高裁宮崎支部が決定を取り消し、最高裁で原口さんの特別抗告が棄却されます。第2次請求は退けられましたが、15年7月の第3次請求で鹿児島地裁、福岡高裁宮崎支部が再審開始を認め、原口さんは昨年から最高裁の決定をいまかいまかと待っていました。
第3次請求では、死因が争点となりました。確定判決では「窒息死」とされている死因について、弁護側は、被害者は遺体発見の3日前に酒に酔って自転車のまま側溝に落ちており、遺体の写真などから、転落事故による「出血性ショック死」の可能性が高いとする法医学鑑定を提出しました。高裁は弁護側が提出したこの鑑定を踏まえると、「何者かに殺害されたという前提で犯人像を想定することはできなくなった」と判断し、再審開始を決定しました。
被害者は側溝に落ちた後に、連絡を受けて迎えに行った近隣住民2人に自宅に連れ帰ってもらっていました。
しかし、最高裁は決定でこう言っています。
「遺体は腐敗しており、解剖で収集された情報は極めて限定的だった。法医学者は遺体を直接検分していない。解剖の際に撮影された12枚の写真からしか遺体の情報を得ることができず、その証明力にも限界がある。法医学鑑定は条件が制約された中で工夫を重ねて専門的知見に基づく判断を示し、科学的推論に基づく一つの仮説的見解として尊重すべきだが、死因や死亡時期に関する認定に決定的な証明力を有するものとまではいえない」
「高裁決定のように、鑑定を根拠として、被害者が出血性ショックにより、自宅に到着する前に死亡し、あるいは瀕死の状態にあった可能性があるとして、遺体を堆肥中に埋めた者は最後に被害者と接触した近隣住民以外に想定しがたいことになる。しかし、そうした事態は、本件の証拠関係の元では全く想定できない」
高裁決定では、被害者を自宅に近隣住民2人が運び入れた様子に看過しがたい食い違いがみられるとしていました。近隣住民の1人は「被害者が1人で軽トラックから降りて、千鳥足だったが1人で歩いて玄関から中に入っていった。そのため、玄関から中に入っていったのちの被害者の情報は知らない」と供述しているのに対し、もう1人は「被害者の両脇下に両手を入れて抱くようにして持ち上げて軽トラックの荷台から下ろし、被害者の右脇下に右手を入れて右手で抱えるようにして玄関脇の勝手口から中に入り、被害者を小縁にもたせかけた状態にした」と供述するなど食い違いがありました。
これに対して、最高裁は「高裁決定が各供述の信用性に疑いを生じさせるとしてあげる事情も、信用性に影響を与えるようなものではない」と簡単に言い放っています。
最高裁の決定を読むと、「高裁決定が採用した法医学鑑定に基づくと、遺体を埋めた者は近隣住民以外にないということに等しいが、そうしたことは想定できない。だから、原口さんらが被害者を殺害し、死体を遺棄したに違いない」と言っているようにしか思えません。
こんな論理が通るのでしょうか。「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判の鉄則に反していないでしょうか。問題は近隣住民が何をしたかではなく、原口さんらが被害者を殺害した絶対的な、確たる証拠があるかどうかなのではないでしょうか。
被害者が自宅に近隣住民らによって運び込まれたことを近隣住民らから教えられて知っていたのは原口さんだけだったり、被害者の酒癖が悪く、原口さんらが困っていたこと、被害者の変死体が堆肥の中から見つかったこと、つまりだれかが被害者を堆肥の中に運んだ状況であったことなど、初見では、原口さんらが疑われるような状況は存在しました。しかし、それは単なる状況的なもので、見方でしかありません。万が一、そうした見方で疑わしいというならば、それらは証拠ではなく、また、100歩譲っても、灰色でしかありません。「疑わしきは被告人の利益に」というのは、真っ黒でなければ罪に問うことはできないということなのではないでしょうか。原口さんらの罪を問うならば、彼らが真っ黒であるということを証拠をもって示さなければならないはずです。
佐藤弁護士はこう言っています。「最高裁は、死体遺棄の犯人は原口さんらに決まっていて、よって殺人の犯人も原口さんらだと推測に推測を重ねている。5人の裁判官全員一致というのも異常だ。とくに高裁の判断は、大崎事件の真実に光を当てた本物の裁判だった。最高裁の判断と言って、屈するわけにはいかない。戦い続ける」
弁護団事務局長を務める鴨志田祐美弁護士は、決定の主文を聞き、「司法は死んだ」と思ったそうです。「(再審開始決定を)取り消さなければ著しく正義に反する」という決定の文言は、地裁の3人、高裁の3人の裁判官が必死に書いた再審開始決定を切り捨てるものだと言います。「これでもう、下級審は再審開始決定を出すことはないでしょう」と話し、今回の最高裁決定は下級審への萎縮効果が絶大だと指摘しています。
鹿児島市に事務所をもつ鴨志田弁護士は、どの弁護士よりも原口さんのもとに通い、寄り添い続けてきました。原口さんの衰えを年々感じる中で残された時間との闘いだと位置づけ、弁護活動を続けてきました。その鴨志田弁護士はこう言います。
「最高裁は原口さんに『死刑宣告』にも等しい決定を突きつけた」と。
しかし、その後、こう続けます。
「我々は闘いの手を緩めることはない。止まった瞬間に原口さんの命が尽きてしまうように思うから」
最高裁の決定が判明した後、鴨志田さんは一睡もせずに、原口さんにどう伝えるべきかを悩んだそうです。しかし、「伝えないことは彼女の人生に失礼だ」と覚悟を決め、鹿児島県内で入院する原口さんを訪ねて謝罪。そして、「私たちは闘い続けます。100歳まで生きてください」と伝えたといいます。ベッドに横たわる原口さんは涙を流しながら「うん」と声を出し、何度もうなずいたそうです。
原口アヤ子さん、92歳。
無実を訴え続けて40年。
3度も再審開始決定を受けたにもかかわらず、検察の抗告によって、いまも雪冤を果たせないでいます。
7月12日には、国内の100人近い刑法学者が、今回の最高裁の決定に抗議し、再審制度の抜本的改革を求める声明を出しました。「再審を誤判と人権侵害を救済するための制度として正しく機能させるために、ドイツなど諸外国を参考にして、再審開始決定に対する検察官の抗告を禁止することを含む抜本的な制度改革を早急に検討するべきである」としています。
原口さんの3次にわたる再審請求審で、当初、検察は手持ちの捜査資料を開示しませんでした。しかし、その後、検察が「ない」としていた証拠が次々と出てきました。13~14年、第2次再審請求審での福岡高裁宮崎支部の勧告をきっかけにやっと、捜査資料など計213点の証拠が開示されました。その際、担当検事は「証拠はもはや存在しない。不見当ではなく、不存在である」と言い切ったそうです。
しかし、約2年半後の鹿児島地裁での第3次再審請求審で、検察は地裁に促される形でネガフィルム18本を新たに示しています。現状では、再審請求審では証拠開示について何の取り決めもなく、再審請求審を担当する裁判官の訴訟指揮次第になっています。これを、鴨志田弁護士は「再審格差」と表現しています。請求人がその人生をかけて訴える再審請求審で、どの裁判官にあたるか次第であり、証拠開示に大きな格差が生まれるということが許されていいのでしょうか。再審での証拠開示のルールを明文化した法律の制定が必要だと専門家たちは口をそろえています。
最高裁の決定は、原口さんに出た地裁と高裁での再審開始決定を取り消さなければが「著しく正義に反するものと認められる」としました。しかし、鹿児島総局に赴任し、大崎事件を知ってから13年、原口さんの訴えとその闘いを見て来た私としては、今回の最高裁の判断が、繰り返される検察官抗告が、そして、それを許している現行法こそが、「著しく正義に反するもの」だと思わずにはいられません。
有料会員の方はログインページに進み、朝日新聞デジタルのIDとパスワードでログインしてください
一部の記事は有料会員以外の方もログインせずに全文を閲覧できます。
ご利用方法はアーカイブトップでご確認ください
朝日新聞デジタルの言論サイトRe:Ron(リロン)もご覧ください