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拡大新潟地震で引き起こされた石油タンクの火災=1964年6月17日

昔の地震では話題にならなかった長周期地震動

 近年、大きな地震が起きると、大規模な堆積平野に立地する大都市にある超高層ビルで長周期地震動の問題が話題になる。長周期地震動の問題は、建築物の100尺制限(約30メートル)の撤廃によって高層ビルが実現されるまでは、あまり注目されることはなかった。過去の関東地震や南海トラフ地震では長周期の揺れがあったことが古文書などにも見られるが、長周期地震動で被害を受けるような長大な構造物が無かったことから着目されなかったようだ。

寺田寅彦が記した大正関東地震の長周期地震動

 寺田寅彦は震災日記の中で、1923年関東地震(関東大震災)の揺れの様子を、「椅子に腰かけている両足の蹠を下から木槌で急速に乱打するように感じた。多分その前に来たはずの弱い初期微動を気が付かずに直ちに主要動を感じたのだろうという気がして、それにしても妙に短周期の振動だと思っているうちにいよいよ本当の主要動が急激に襲って来た。同時に、これは自分の全く経験のない異常の大地震であると知った。その瞬間に子供の時から何度となく母上に聞かされていた土佐の安政地震の話がありあり想い出され、丁度船に乗ったように、ゆたりゆたり揺れるという形容が適切である事を感じた。仰向いて会場の建築の揺れ工合を注意して見ると四、五秒ほどと思われる長い周期でみしみしと音を立てながら緩やかに揺れていた。」と、見事に長周期の揺れを描写している。また、安政南海地震の揺れと同様であるとも記している。

 1944年東南海地震でも、三重県四日市の埋立地に建設された高さ185メートルの煙突が途中で折れた。長周期の揺れによる構造物被害が疑われる。

戦後の地震による長周期地震動と霞が関ビル

 終戦後、長周期地震動が注目されたのは、1964年新潟地震での昭和石油新潟製油所の石油タンクの火災である。軟らかい地盤が厚く堆積する新潟平野では、長周期の揺れが増幅されやすく、この揺れでタンク内の油が揺動するスロッシングが起き、火災につながった。この地震の後、石油タンクの地震対策が抜本的に強化された。

 この時期に、日本初の超高層ビル・霞が関ビルが構想されていた。36階建ての霞が関ビルは1965年に着工し、1968年4月12日に竣工した。1968年5月16日に十勝沖地震が発生し、八戸港湾で本格的な長周期の揺れが観測される直前である。

 霞が関ビルには、スリット耐震壁という工夫が施されている。大地震時に大きく変形したら、スリット壁が壊れて振動エネルギーを吸収するもので、制振壁の一種でもある。

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筆者

福和伸夫

福和伸夫(ふくわ・のぶお) 名古屋大学減災連携研究センター長・教授

1957年に名古屋に生まれ、81年に名古屋大学大学院を修了した後、10年間、民間建設会社にて耐震研究に従事、その後、名古屋大学に異動し、工学部助教授、同先端技術共同研究センター教授、環境学研究科教授を経て、2012年より現職。建築耐震工学や地震工学に関する教育・研究の傍ら、減災活動を実践している。とくに、南海トラフ地震などの巨大災害の軽減のため、地域の産・官・学・民がホンキになり、その総力を結集することで災害を克服するよう、減災連携研究センターの設立、減災館の建設、あいち・なごや強靭化共創センターの創設などに力を注いでいる。

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