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飼い主の価値観で左右されるペットの看取り

どこまで積極的治療をするのか? あの子らしい生き方とは……

梶原葉月 Pet Lovers Meeting代表、立教大学社会福祉研究所研究員

ペットの看取り拡大belozu/shutterstock.com

 ペットの飼い主に、最後の最後まで「1秒でも長く生かしてください!」と言われれば、獣医師も「動物を入院させて酸素室で24時間点滴しましょう」と言わざるを得ないのかもしれない。しかし、飼い主はその選択をした後、「あの子は住み慣れた家で死にたかったのでは?」と自問することがあり、今までそういう飼い主にたくさん出会ってきた。今回は、ペットのエンド・オブ・ライフケアについて考えたい。

いい人生の終え方って何だろう

 つい先日、小さな出版社で社長の片腕として働いてきた知人の女性が亡くなったと知った。

 がんが全身に転移して、本人も「原発がどこかわからないくらい、とにかく全身が、がんなんですよ」と笑って話していたくらいの状態だった。しかし、彼女は亡くなる数カ月前、私たちのペットロスの悲しみを語りあうミーティングに参加していたし、最後の最後までできる範囲で仕事を続け、ひょうひょうと生きて亡くなった。

 彼女はある時点で、積極的治療をやめる決断をして、あとは緩和ケアだけを受けていた。私には、とてもいい人生の終え方に見えた。だが、がんになって自分でこういう判断をするのは、簡単なことではないだろう。

 私の母は数年前、すい臓がんで積極的治療の中止を主治医から勧められた。その時点では十分元気だったが、母は「主治医には見捨てられた」と思ったのか、高額な放射線治療を受け、全身状態が急速に悪化し、すぐに他界してしまった。あの治療を受けなければ、普通の日常がもっと長く続けられたに違いない、と私は思っている。

 また50代の知人の男性は、腎盂尿管がんのステージ4で転移がかなり広範囲にある状態だった。「5年後の生存率はほぼゼロ」と医師から告げられたあと、「人参ジュースのみを摂取して、がんに栄養を与えないようにする」という怪しげな療法を信じて、急速に体力を落として亡くなった。(一般的に腎盂尿管がんの5年後の生存率がほぼゼロということではない)

 医療というのは、あくまで患者の病気を「治す」ことを前提として発展してきた。しかし、現実には人間には必ず命の終わりがある。「治る」だけではなく、「どうやって死ぬ」か、もしくは「人生の最後の日々をどう生きたいか」を患者自身が考えて選択する必要があると思う。

ペットの看取り拡大mannpuku/shutterstock.com

最期まで自分らしく生きることを支援

 人が人生の最後まで最善の生を生きることができるようにする支援は「エンド・オブ・ライフケア」と言われている。エンド・オブ・ライフケアは、最期までその人らしく生きることができるように支援するケアのことだ。

 人の終末期にかかわったり、勉強したりしている時に、どうしてもペットの命の終わりに、過度な治療を望む飼い主たちのことを思わずにはいられなかった。

 寿命があるのは、人間だけではない。当然動物にも、エンド・オブ・ライフケアという考え方は当てはまるのではないだろうか?

 野生動物はほぼ医療を受けることはないから除外するとしても、ペットの場合は命の最後に動物医療のお世話になることが多いことだろう。しかも、ペット自身が、その選択を出来ないという根本的な問題がある。

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筆者

梶原葉月

梶原葉月(かじわら・はづき) Pet Lovers Meeting代表、立教大学社会福祉研究所研究員

1964年東京都生まれ。89年より小説家、ジャーナリスト。99年からペットを亡くした飼い主のための自助グループ「Pet Lovers Meeting」代表。2018年、立教大学大学院社会学研究科博士後期課程修了。博士(社会学)。近著『災害とコンパニオンアニマルの社会学:批判的実在論とHuman-Animal Studiesで読み解く東日本大震災』。横浜国立大学非常勤教員、日本獣医生命科学大学非常勤講師。

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