学校を変えようとする教員は「厄介者」なのか?
改革を進めるためには、目的と強い動機が必要だが、校長の「気付き」も欠かせない。
住田昌治 横浜市立日枝小学校校長
学校のマネジメント改革やESD(持続可能な開発のための教育)、脱校長室を実践している横浜市立日枝小学校校長、住田昌治さんの連載が始まります。学校を変えるにはどうしたらいいのか。みなさんと一緒に考えていきたいと思います。(「論座」編集部)
「前例にとらわれるな」は今までも言われてきた

住田昌治さん
学校改革を進めている校長や学校をメディアが紹介することが多くなってきた。その大胆な発想や取組に関心が集まり、講演や研修会も盛んだ。
しかし、そのような場で講師が発する言葉、例えば「前提を疑え」「当たり前を見直せ」「前例にとらわれるな」「今まで通りに流されるな」「去年と同じは、後退のしるし」「不易と流行を考えて」などという言葉は、学校ではずっと言われ続けてきたことでもある。
「今さらなぜ?」と思う改革派の校長や教育関係者も多いと思う。「そんなこと、言われなくてもずっと前からやっている」という校長もいるだろう。さらに、この流れの中で必ず言われるのは、「校長の裁量でできることは多いのに、なぜやらないのか?」という問いかけだ。
しかし、多くの学校では、校長の裁量でどんどん改革を進めるというより、前例を踏襲しながら目の前で起こる事案に対応し、粛々と業務を遂行することで大変な日々を過ごしているのだと思う。決められたことをきちんと行い、教職員を管理し、円滑に学校運営を行う。前例踏襲し、旧態依然とした学校文化を重んじ、改革には消極的な校長は、おそらく真面目な人が多いのではないだろうか。(改革を進めている校長先生、気に障ったら失礼)

円たくんで対話の雰囲気をつくる=住田昌治さん提供
丁寧すぎる上意下達の学校文化
各地の研修会にお邪魔するようになって気付くことは、校長や教頭、副校長が文部科学省や教育委員会からの通知や指示を丁寧に学校で伝え、実現することを自分の役割と考えている人が多いということだ。そうすることが当たり前だとする文化が根強いのかもしれない。
私のように自分に都合よく解釈して、学校で必要なことを選択して伝えたり、分かりやすくアレンジしたりして伝えるということは難しいのかもしれない。「最後は校長判断で!」と言われる割に学校の主体性が確保されていないようだと、学校改革に踏み出すにはハードルが高くなる。それにも増して、増え続ける仕事量、日々の多忙のために学校改革まで手が回らない、というのが本音のようだ。
そもそも、改革の必要性を感じていないかもしれないし、感じていても現場の限界まで追い詰められた状況を見ると踏み出せないのかもしれない。思いはあっても、現実的ではないと考えたり、変えることは難しいと考えていたりするのだと思う。
今までやって来たことを変えることは、大変なエネルギーが必要だ。変えたことが本当に良かったのかはすぐ分からない。教育とはそういうものだ。