2019年09月06日
2001年に中央省庁が再編され、中央防災会議が内閣府に移管された。最初に作られた専門調査会が「東海地震に関する専門調査会」である。1976年に東海地震説が発表されて四半世紀が経ち、この間の科学的知見を踏まえて東海地震対策について再検討することになった。その後、東海地震に加え、東南海地震・南海地震などの検討も行われた。この中で、長周期地震動に対する懸念が示された。
2003年にまとめられた東海地震対策大綱には、「東海地震の特徴を踏まえた調査研究として、津波による建物被害の研究や長周期地震動の高層ビル等への影響についての研究等、今後の東海地震対策をより一層的確に講じるための研究を進める。」と記されている。
東南海・南海地震対策大綱には、「長周期地震動対策の推進」という項を立て、「東南海・南海地震は、震源域が非常に大きな海溝型地震であり、その地震動は一般的な地震によるそれと比較して長周期成分を多く含んだものとなっている。また、地震動の継続時間も長い。このため、国・地方公共団体・関係事業者等は、連携してこのような長周期地震動の構造物に及ぼす影響について調査研究を進め、新たな対策の必要性を検討する。」と記されている。
2つの大綱が5月と12月に出される中、9月に発生した2003年十勝沖地震(M8.0)では、長周期地震動の問題が現実化した。このため、東南海・南海地震対策大綱では、踏み込んだ記述になっている。十勝沖地震では、苫小牧にあった石油タンクが、長周期地震動によるスロッシング(容器内の液面が共振し、大きく波打つ現象)で火災を起こした。地震後には長周期地震動に着目した特集番組なども作られ、社会も注目することになった。
翌2004年9月には、東海道沖の地震(M7.4)が発生し、三大都市圏の湾岸を中心に長周期が卓越した揺れが観測された。ただし、地震発生が深夜だったため、高層ビル内で揺れを体感した人は多くなかった。さらに、同年10月に新潟県中越地震(M6.8)が発生した。この地震は土曜日の夕刻に起き、東京都内の著名な高層ビルなどのエレベーターで多数の障害が発生したことから、社会的関心が高まった。
2004年度になって、内閣府からの依頼を受け、建築学会と土木学会が連携して「東海地震等巨大災害への対応特別調査委員会」を設置し、3年にわたって長周期地震動問題などを検討した。さらに、建築学会では、2007年度から「構造委員会高機能社会耐震工学WG」、2009年度から「長周期建物地震対応WG」、2011年度から「長周期建物地震対応小委員会」を設置して検討を続け、複合災害シンポジウムと題したシンポジウムを毎年開催した。検討結果の記者発表は、東北地方太平洋沖地震のちょうど1週間前に建築会館で行われた。
また、2007年度から5カ年にわたって、文部科学省の「首都直下地震防災・減災特別プロジェクト」が進められ、大型振動台・E-ディフェンスで高層ビルの振動台実験も行われた。また、地震調査研究推進本部も、「長周期地震動予測地図」2009年試作版を公表した。
2008年には、日本建築防災協会に「長周期地震動の設定に関する検討委員会」が設置され、長周期に配慮した建築物の設計用入力地震動のあり方が議論された。この検討結果を受けて、2010年12月に国土交通省から「超高層建築物等における長周期地震動への対策試案」が発表され、意見募集が行われた。東北地方太平洋沖地震が発生したのは、意見募集終了の翌月である。
まさに、長周期地震動の検討が本格化していた時に、東北地方太平洋沖地震が発生した。
2011年東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)では、震源から離れた東京や大阪の高層ビルが大きく揺れた。中でも、震源から700km程度離れた場所にあった高さ256mの大阪府咲洲庁舎では、地盤との共振により片振幅1.37mもの揺れが記録された。
東京都内の高層ビルも強く揺れ、家具の転倒や天井の落下、エレベーターの閉じ込めなど、様々な問題が発生した。
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