世界遺産ブランド超えた京都ブランド。宮内庁管理や漏れている寺社に価値はないのか?
2019年09月01日
今年7月に登録された「百舌鳥・古市古墳群」を含めて計23件となった日本の世界遺産。その代表として真っ先に思い浮かぶのは、姫路城、屋久島、そして京都。今回は、多くの人が知っているはずの京都の世界遺産について考える。
まずは<問題>。京都にある次の寺社のうち、世界遺産でないのは?
A.真っ赤な鳥居のトンネルが続く「伏見稲荷大社」
連なる鳥居が写真映えし、海外からも人気の伏見稲荷大社=京都市、筆者撮影
B.石川五右衛門の『絶景かな』で有名な三門がそびえる「南禅寺」
紅葉も美しい南禅寺の三門=京都市、筆者撮影
C.千体の黄金の観音像が並ぶ「三十三間堂」
三十三間堂に並ぶ木造千手観音立像=2018年10月2日午後、京都市東山区、加藤諒撮影
答え。すべて世界遺産ではない。
「京都の世界遺産」といっても、京都にある歴史的な建物がすべて世界遺産なのではない。登録名は「古都京都の文化財(京都市、宇治市、大津市)」。登録名の3市にある17の寺社と城が、構成資産だ。
なぜ、この17カ所だけなのだろうか。三十三間堂や伏見稲荷大社よりも、知名度や参拝者の数が少なそうな寺社もあるが・・・・・・。
日本が世界遺産条約を批准したのは1992年。ユネスコで世界遺産条約が発効して20年後、世界では125番目という「遅い参加」だった。
同じ年、政府は世界遺産の候補となる「暫定リスト」を作成し、文化庁は、文化遺産候補として法隆寺や姫路城、厳島神社などと並び、「古都京都の文化財」を選んだ。リストの中から、法隆寺と姫路城が日本最初の文化遺産として翌93年に登録された。
この2カ所がたった1年で世界遺産になったのは、世界的にみても優れた建物であることはもちろんだが、登録資産が単体または少なく、建物が文化財保護法に基づく国宝、かつ土地が史跡(特別史跡)で、法的な保護が十分に担保されていたためだ。
次の1994年の登録候補として白羽の矢が立ったのが「古都京都の文化財」だった。平安遷都のあった794年から1200年の節目だったのだ。
暫定リストの掲載から登録までわずか2年。文化財の宝庫である京都で、どれを世界遺産にするかは難しい作業だった。
限られた期間の中で、次のような基準が設けられた。
①世界遺産が不動産に限られているため、建造物、庭園を対象に
②国内で最高ランクに位置付けられている国宝(建物)または特別名勝(庭園)を有し
③遺産の敷地が史跡に指定されているなど、遺産そのものの保護の状況が優れている。
この3基準をあてはめ、適合したのが上記の17カ所だった。
「東寺」「清水寺」「平等院」などは建物が国宝。金閣が戦後に放火で全焼し、その後再建された「金閣寺」、石庭が有名な「龍安寺」、境内が苔で覆われ『苔寺』とも呼ばれる「西芳寺」などは、庭園が特別名勝だ。一方で、三十三間堂は、建物は国宝だが敷地は史跡ではない。伏見稲荷大社は国宝の建物も特別名勝の庭園もないのである。
しかし、世界遺産について各寺社の反応は薄かったと、当時の京都市の担当者は振り返る。今のように誰もが世界遺産を知る時代ではなかった。
「世界遺産? それ、何ですの?」
おおかたの寺社からは、こんな反応が返ってきたそうだ。
そして、推薦にあたっては、この17の寺社・城で、古都京都のストーリーを説明した。
794年に平安京が築かれた頃、建立が始まった東寺。貴族社会の舞台だった平安時代を代表する平等院。武士が台頭した鎌倉時代の様式の高山寺。室町時代に建立された禅寺の西芳寺、時の将軍の山荘に始まる金閣寺。桃山文化を代表する西本願寺。政権が江戸に移った江戸時代、将軍上洛時の宿所として建てられた二条城。この時期には社会が安定し、多くの寺社が再興され、現在に至っている。
当時のパンフレットには、こうしたストーリーが書かれている。
しかし、「古都京都」は、世界遺産登録からすでに25年。自然遺産を含め、当時5件だった国内の世界遺産はいまや23件に増えた。果たして「古都京都」は、このままで良いのだろうか。私は、再考(再構成)すべき時期に来ていると考える。
登録に要した時間はわずか2年で、「突貫工事」の印象は否めない。
1994年の登録の際に設けた3基準を満たす寺社も、その後現れた。
世界遺産登録にかかわった元職員は「担当者レベルでは、追加登録したらええやん、という話もあった」と振り返る。「今後、追加登録の話が来た時に備え、準備はしっかりしておこうと取り組んだ」という。
世界遺産に詳しく、イコモス国内委員会理事を務めた京都府立大の宗田好史教授は「登録10周年の2004年ごろには、追加登録の話もあった」と話す。京都市はその後も検討を続けていたようだ。
世界遺産には、姫路城や厳島神社のような単体のものもあれば、「古都京都の文化財」や、東大寺、興福寺など八つの資産から成る「古都奈良の文化財」のように、複数の資産をまとめたものもある。
世界各地では、拡大登録として数年後に資産を追加することは、よくある。ドイツのサンスーシ宮殿などからなる「ポツダムとベルリンの宮殿群と公園群」は、1990年に世界遺産に登録された後、92年と99年に他の宮殿や庭園が加わった。洞窟壁画で有名なスペインの「アルタミラ洞窟」は85年に単独で登録されたが、2008年に周辺の17カ所が追加され、「アルタミラ洞窟と北スペインの旧石器時代の洞窟画」と改称された。日本でも「紀伊山地の霊場と参詣道」で、登録の12年後に熊野古道の一部が追加された。
天皇に関する遺産とは「桂離宮」「修学院離宮」そして「御所」「仙洞御所」である。
明治に東京へ遷都されるまで1000年以上天皇の居所だった京都の歴史を語る上で、皇室の関連施設は欠かすことができない。
桂離宮は、昭和初期に訪れたドイツの名建築家ブルーノ・タウトが「すぐれた芸術品に接するとき、涙はおのずから眼に溢れる」と、著書「日本美の再発見」(岩波新書、篠田英雄訳)で評した。ちなみに、ブルーノ・タウトが設計した建物も「ベルリンのモダニズム集合住宅群」として世界遺産に登録されている。
桂離宮など皇室関連施設はいずれも宮内庁が管理しており、文化財保護法に基づく国宝や特別名勝ではない。文化庁は、世界遺産の構成資産は文化財保護法による保護を前提としていたため、見送られた経緯がある。
一方で、今年世界遺産に登録された大阪の「百舌鳥・古市古墳群」の仁徳天皇陵や応神天皇陵などの陵墓は、国の史跡ではなく、宮内庁が管理する。陵墓は立ち入り禁止だが、桂離宮などは一般の見学が可能である。宮内庁次第ではあるが、桂離宮などは世界遺産になる価値は十分ある。
京都には、多くの仏教宗派の本山がある。「仏教都市」としての京都の側面だ。
ただ、世界遺産に登録された13の寺は、宗派の代表としてではなく、建物・庭園の文化財的な価値を基準に選ばれた。例えば、「龍安寺」は臨済宗妙心寺派の寺院だが、大本山の「妙心寺」は世界遺産ではない。その建物の多くは重要文化財だが、国宝ではないのだ。
浄土真宗は、本願寺派の本山「西本願寺」は世界遺産だが、大谷派の本山「東本願寺」はそうではない。御影堂などの主要な建物が1864年に起こった蛤御門(禁門)の変で焼失し、明治期に再建されたためだ。ただ、2019年に京都の近代和風建築を代表するものとして重要文化財に指定された。
京都の歴史を考えれば、建物の価値だけではなく、仏教の果たした役割にも目を向けるという指摘は重要だ。
現在の京都の世界遺産は、やはり少なすぎる。
そう考える私がもう一つ重視している点が、1990年代と21世紀に登録された世界遺産とのギャップである。
「古都京都」の構成資産が国宝や特別名勝という文化財の最高ランクを基準としたのに対し、近年の世界遺産は国宝ではなく重要文化財でも選ばれている。
さらに、2013年に登録された「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」は、構成資産となった富士山周辺の神社には町指定文化財のものもある。「明治日本の産業革命遺産 製鉄・鉄鋼、造船、石炭産業」では、文化財保護法で文化財指定されていない稼働中の建物も含まれている(景観法に基づく景観重要建造物に指定された)。
当初は、登録する資産から世界遺産のストーリーが語られたが、現在はストーリーが先行し、それにのる遺産を選ぶようになった。
古都京都の1000年のストーリーにのる資産を選んでいけば、現在の17カ所では足りない。その候補は、いまの基準に照らせば、「重要文化財」級まで広がり、50カ所以上にもなりそうだ。
しかし、残念ながら、現在は具体的な動きはない。いま京都市が注力しているのは、埋もれた文化財の発掘だそうだ。実際、清水寺や花見小路などの有名観光地がにぎわう一方で、伝統的な京町家が次々消滅している問題に直面している。
柱は「まち・ひと・こころが織り成す京都遺産」「京都を彩る建物や庭園」「京都をつなぐ無形文化遺産」の三つだ。
「京都遺産」は、市内の文化遺産をテーマごとにまとめたもので、「京町家とその暮らしの文化」「火の信仰と祭り」など8テーマを選んだ。
「建物や庭園」は、文化財指定に関わらず、京都の歴史や文化を象徴する建物・庭園を、市民の公募でリスト化し、市民ぐるみで守る取り組みだ。「無形文化遺産」は、地域に息づく地蔵盆や五山送り火などの年中行事、京菓子や着物などの文化を選定した。
こうした京都の文化遺産の裾野を広げ、守る取り組みには賛成だ。
しかし、海外からも多くの観光客が訪れ、世界への発信力もある京都では、やはり世界遺産の拡充こそがふさわしいと考える。
数カ所の追加登録であれば、現在の申請書を修正するだけで済むかもしれないが、全体的な見直しとなると、「すべてを一からやり直さなければならなくなる」という。
また、現在の17寺社・城から見れば、世界遺産の資産が増えれば増えるほど、全体的な価値は下がりかねず、決して面白い話ではないだろう。
私見では、今後の2020年代が追加登録のチャンスだと思う。根拠は二つある。
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