怒りの性質から考える高齢者虐待の予防ポイント
「いつの間にか虐待によって支配され、そこから逃れられない」という人いませんか?
田辺有理子 横浜市立大学医学部看護学科講師、日本アンガーマネジメント協会トレーニングプロフェッショナル
シリーズ「高齢者虐待防止×アンガーマネジメント」の4回目は、認知症の高齢者の介護で感じるいらだちについて掘り下げてみます。筆者の田辺有理子さんが、なぜ、人はイラッとしてしまうのか、虐待が起こる要因の一部を怒りのもつ性質とあわせて考えてくれました。(「論座」編集部)
認知症、毎日付き合う家族はつらくなる
家族の介護における虐待の問題をみていくと、家族という密接な関係性ゆえ、あるいは家のなかに他人の目が届かない密室性ゆえのリスクが潜んでいる。
「怒り」は、身近な人に対するほど強くなりやすい。介護や認知症の対応については、ネットで検索するだけでいくらでも情報が得られる。ところが、いざやってみると介護がうまくいかないことがある。何度も同じことを聞いてきたり、介助しようとしても拒否されたり、時には暴言を吐かれたりしたら、腹も立つ。それが認知症の周辺症状だと言われればそうなのだが、毎日付き合うほうはつらくなる。これが赤の他人なら、冷静に対応できるのに、自分の家族だとそうはいかない。

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言葉で伝えられないから暴力で相手をコントロールしようとしてしまう。身体的虐待も言葉の暴力などの精神的虐待も、より密接にかかわる関係性ゆえに怒りが強くなってしまう結果ともとらえられる。介護される側も暴力や精神的な苦痛があるのなら、逃げれば良い、ということができない。いつの間にか虐待によって支配され、そこから逃れることは難しい。
介護者が親子関係のなかで日常生活や高齢の親の年金をあてにするなど、金銭的、心理的に親に依存し、親は養護者からの虐待があっても子への愛情や自身の介護が必要な状況から虐待を認めないなど、双方が依存している共依存という関係に陥る場合がある。
仮に一時的に保護して家族から引き離したとしても、介護の負担を負うにもかかわらず家族も高齢の親を戻したいと言い、虐待を受けた高齢者が自ら家に帰りたいと希望することもある。家族の元へ戻っても、介護保険サービスを受けなくなり、外部の支援者を切り離され、再び虐待が発生してしまう危険性もある。
高齢の親を子が一人で介護するという1対1の介護などは、介護者自身が重篤な状況になる前に、支援を求めることができれば良いが、助けを求めること自体が難しいからこうした虐待に至ってしまう。専門職や民生委員など他者とのつながりを保っておくことも必要だろう。
自覚がない不適切ケア
ほかにも不適切なケアをしていると自覚せずに、介護しているという事案がある。虐待だったとしても虐待の自覚もないし、あるいは良かれと思って、という場合もある。日常の介護のなかには、明確な虐待とはならないが危ういグレーゾーンも多い。
トイレが近いからと夜に水分を控えるようにする、縛りつけたりしていなくても「動かないで」と声をかけることで行動を制約してしまう場合もある。

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アンガーマネジメントでは、自分の感情を見直すために、思考を整理するトレーニングが含まれる。介護者が怒ったりイライラしたりしていなくても、無意識に高齢者を押さえつけてしまうことがある。自覚せずに、当たり前にやっていることを見返してみると、自分の価値観や自分だけの常識にとらわれていると気づくこともある。
人の判断や行動には、人それぞれの価値基準がある。介護者がひとりで介護を担っている場合や家族のなかでは疑問をもつこともなく過ぎていくものもあるが、介護保険サービスを利用して他者が介護に参画したり、デイサービスや入所施設を利用したりする場合は、かかわる人によって介護のやり方・考え方が異なる。それが、介護を受ける高齢者や家族の慣れ親しんだ方法と違うと、それが怒りやイライラの原因になる。
怒りの背後にある価値観は、不毛なこだわりのようなものもあれば、自分にとって重要で譲れないものもある。いずれにしても人の価値観は普段の生活においては自分の価値基準に従って行動しているので、意識せずに当たり前に過ぎていく。ところが他者の行動が自分の価値基準から外れていると、違和感をもったり、怒りがわいたりする。
それはほんのささいな場面かもしれないし、相手によって、また状況によって事態の程度によって、怒ることもあれば気にならないこともある。