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SNSで拡散される医事会計データの風評被害

南相馬市立総合病院で「原発事故後に患者数が激増している」とは言えない

澤野豊明 医師(外科・公衆衛生)

拡大南相馬市立総合病院。福島第一原発からの距離は約23キロだ

 2018年10月から11月初めにかけて、南相馬市議である大山弘一氏が「南相馬市では原発事故前に比べ、成人甲状腺がんが29倍、白血病10.8倍、肺がん4.2倍に増えた」という内容のチラシを市民に配布しました。これは南相馬市立総合病院の医事会計システムのデータを明らかに誤った解釈し作られたものです。

 大山氏はあろうことかこのデータを弁護士・井戸謙一氏に渡し、井戸氏はこれをSNSのFacebookで発信し、市民の不安を煽りました。大山議員は市議会でこの件を取り上げた際、「不適切な言葉」について発言を削除されるなどしましたが、主張の内容については以降も謝罪・訂正をしていません。一方の井戸氏は一部発信した内容の誤りを認め、のちに謝罪しましたが、一度公共に発信された情報はいまでもなおSNSで繰り返し拡散されています。特にTwitterではこの情報が拡散されて以来、都内の区議会議員などを筆頭に何人もの公人が現在でもこの誤情報を拡散している状況であり、見過ごされるべきではありません。

 こういった誤った情報が拡散してしまう背景には、福島第一原発事故後の政府や公的機関の情報公開のあり方への不満や放射線に対する根強い不安があることが考えられます。確かに一朝一夕でそういった不満や不安を払拭することはできないでしょうし、どんなに正しいことであろうと一定数の批判がなくなることはないでしょう。しかし、それは正しい情報を発信することを控える理由にはなりません。

 正しい知識を持つことが全ての不安を取り除くことはつながらないかもしれませんが、多くの人にとってはそういったネガティブな物事を適切に評価するため役立つと考えています。私は今年7月まで南相馬市立総合病院で外科医として勤務していた外科と公衆衛生を専門とする医師として、今までにもいくつかのメディアやSNS、論文を通して発信を行ってきました。今回はいま一度南相馬市立総合病院の医事会計システムのデータから誤解釈を持って作られたデータに関して、放射線についての知識を交えつつ、改めてより正しい解釈をお伝えできれば幸いです。

医事会計システムは医療費を計算するためのもの

 さて、まずは実際に大山議員から公開された南相馬市立総合病院の「医事会計システム」のデータをご覧いただきたいと思います。

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 これは医事会計システムにおいて平成22(2010年)年度から平成29(2017)年度の間に南相馬市立総合病院を受診したそれぞれの主傷病名をもつ患者数をカウントしたものです。

 このシステムでは、例えば患者さんがある病院に初めて来院し大腸がんと診断されると、その病院のシステム上で大腸がんのカウントが1増えます。その後手術を行い、定期的に外来にかかっていると、治癒・転院・死亡など、今後来院しないことになればカウントから除外されますが、その患者さんは大腸がんとして毎年カウントされ続ける仕組みです。つまりこれは、毎年その病名を持った患者を繰り返しカウントしたデータであり、このデータを〝○○という病気が増えた〟、あるいは専門用語で言えば〝○○という病気の発症率が上昇した〟という根拠として使うことには無理があることがお分かりいただけると思います。

 また、そもそもこの医事会計システムは、医療費を計算するためのシステムであり、カルテ内容とも正確には一致しないことも医療の世界では常識です。

 例えば、表を見ると平成29年度の成人甲状腺がんは29人で、平成28(2016)年度の21人から8人増えています。実際に診療録を確認すると平成29年度に9人の患者さんに新しく甲状腺がんの病名がつけられていました。その内訳は、5人が今回初めて当院で診断された甲状腺がん、4人が他病院で以前から治療をうけ、平成29年度に当院に紹介となった患者さんでした。つまり、平成29年度に初めて当院で診断された方は29人中5人であり、甲状腺がんが29倍に増えたと書くことは全く意味をなさず、いかに誤解を招く表現であるかがお分かりいただけるでしょう。

 さらに、これは地元で従事する医療関係者でなければわかるはずもないことですが、実は南相馬市においては平成22年度と平成29年度の数を単純に比較することも全く適切ではありません。それは市内の医療機関の開設状況と赴任している医師が変わったからです。

 震災前の平成22年度には、市内で精神科を除いて入院ができる病院は6つありました。しかし平成29年度には、人口も減少してはいますが、入院が可能な病院は4つに減少しています。

 もう一つは病院内の診療可能な診療科(どの科の医師が赴任しているか)の変化も、単純に比較することができない理由の一つです。特に医師の絶対数の少ない過疎地では赴任した医師の専門分野によって、その病院の診療科目が新たに加わることもあればなくなることも日常的に起こり得ます。

 事実、南相馬市立総合病院の診療科も平成22年度と平成29年度では大きく変わっています。例えば呼吸器内科については震災後に呼吸器内科専門医が南相馬市立総合病院に赴任したため、肺がんの患者さんがより集まる形となり、市内の患者数は変わらなくても、市立病院への受診数は増えました。血液内科でも白血病を診療できる医師が赴任し、同様のことが起こりました。

 また外科も医師が交代し、震災前にはほとんど手術することがなかった、乳がんや甲状腺がんの患者さんへの手術も南相馬市立総合病院で行えるようになりました。つまり、大人の甲状腺がんを例にとると、平成 22年度に南相馬市立総合病院で診療している患者さんが1人なのに対して、平成29年度は29人というのは、甲状腺がんを診療できる医師が赴任したためと説明が可能です。

 そもそもこの医事会計データをもって、市内に甲状腺がんの患者さんが増えているかもしれないと主張されるのは誤りですが、たとえ南相馬市立総合病院でがんなどの患者さんが増えていたとしても、それだけを持って福島第一原発事故によってがんが増えたということはできません。なぜなら市内に他にもいくつかの病院があることに加え、震災前も震災後もがんなどの診断がなされると仙台や福島に治療のため通われる患者さんが大勢いるためです。専門家の立場から言わせてもらえば、よほど条件が整わない限り、一医療機関のデータだけで市内である病気が増えた減ったを議論するべきでありません。

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筆者

澤野豊明

澤野豊明(さわの・とよあき) 医師(外科・公衆衛生)

神奈川県横浜市出身。千葉大学医学部医学科卒業。2014年より南相馬市立総合病院で医師として赴任。除染作業員など健康的弱者の健康問題や原発事故後の風評被害について調査を行い、現在福島県立医科大学公衆衛生学講座博士課程に在籍中。2019年8月より仙台市医療センター仙台オープン病院・消化器外科に勤務。