あらためて「憲法21条」を読んでみる
2019年09月11日
あいちトリエンナーレ内の企画展「表現の不自由展」が中止された件で、表現の自由のあり方に注目が集まっている。
表現の不自由展には、従軍慰安婦問題に対する日本の隠蔽や歪曲を批判するために、韓国の彫像作家が作成した「少女像」や、昭和天皇の顔写真が燃やされる展示などがされていることに対して、多くの批判の声が寄せられた。中には「ガソリン携行缶を持ってお邪魔する」とした脅迫FAXなどもあり、あいちトリエンナーレ側は表現の不自由展の中止を決定した。
さて、表現の自由は日本国憲法第21条に規定されている。
憲法21条
集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。
憲法が命令するのは国に対してであり、この条文を守る主体は国である。当然、国の中枢に近ければ近い立場の人達ほど、立場をわきまえなければならないはずだ。
今回の展示に対して、まだ中止される前に、河村たかし名古屋市長は「どう考えても日本人の心を踏みにじるものだ。即刻中止していただきたい」と主張した。また、菅義偉官房長官は今後の助成金交付について「交付の決定にあたっては、事実関係を確認、精査して適切に対応したい」と牽制を加えた。そして表現の不自由展の中止が決定された後、大村秀章愛知県知事は河村市長の発言を「憲法21条(表現の自由)に違反する疑いが極めて濃厚」と批判。河村市長は「(表現の自由に対して)最低限の規制は必要」と論じた。
さらに松井一郎大阪市長は「税金を投入してやるべき展示ではなかった。慰安婦はデマ」と主張。黒岩祐治神奈川県知事は「表現の自由から逸脱している。もし同じことが神奈川県であったとしたら、私は開催を認めない」と主張。行政の長たちによる「表現の自由」への介入が相次いだ。
憲法のあり方から考えれば、大村知事を除く、市長や知事や官房長官は、行政の長としてあるまじき発言をしている。特に「日本人の心を踏みにじる」などという曖昧な「お気持ち」を理由に表現を規制しようとした河村市長と、「表現の自由から逸脱している」などと、政治的な理由で表現を区分けした黒岩知事の発言は、二度と政治に関わってはいけないレベルの暴言と言っていい。
法治国家であるはずの日本において、表現の自由を侵害しようとしたのだから、当然、これらの行政の長たちに対する国民的な非難の声が挙がらなければならないはずである。ところが、こうした行政の長たちの暴言は批判されるどころか、その矛先は驚くべきことに、脅迫を受けた側のあいちトリエンナーレに向いたのである。
「私費ではなく、公費を使っているのだから、特定の政治的主張に偏ること無く、公平な展示をしなければならず、少女像を展示するなら、韓国のライダイハン(注)に関する展示や、我が国による慰安婦問題に対する反論なども同時に展示しなければならない」という趣旨の主張である。
彼らは「公費を使ったことが問題だ」としているが、では日本のお金を使っていない慰安婦像に対しては
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