倉沢鉄也(くらさわ・てつや) 日鉄総研研究主幹
1969年生まれ。東大法学部卒。(株)電通総研、(株)日本総合研究所を経て2014年4月より現職。専門はメディアビジネス、自動車交通のIT化。ライフスタイルの変化などが政策やビジネスに与える影響について幅広く調査研究、提言を行う。著書に『ITSビジネスの処方箋』『ITSビジネスの未来地図』など。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
生き続ける至高の音声コンテンツプロバイダー
その中で放送波の枠組みにこだわった新規事業i-dioのチューナーが極限までスリム化されたスマホに組み込まれるはずもなく、中高年層の根強いラジオファンに応える伝統的な番組を流すわけでもなく、赤字事業となることは時代の必然ではあったし、そのことくらいはエフトー側でもわかっていたはずだ。
それでもエフトーは新しいラジオ放送の姿を模索し、あえて周波数帯免許を獲得して、取り組んできた。不正会計を擁護する意図は筆者に一切ないが、その新しい音声放送、脱・伝統的なラジオ、の姿を模索するエフトーの取り組みが少なくとも30年来続いてきたことを知る人は、世に極めて少ない。
東海大学(今も同社の最大株主)のFM電波実験から始まり、1960年に前身「FM東海」として民間運営FM放送(実用化試験)を開始して以来のエフトーの歴史は、「脱ラジオの自分探し」の歴史だったと総括していいだろう。
1977年に(NHKに続き)民放初のデジタル録音の番組を放送、1985年に日米間の衛星生中継実施を実現するなどラジオ業界自体の先頭を進む技術の導入を行いつつ、エフトーがこの30年進めていったのは、通信と放送の融合すなわちインターネットの隆盛の時代を見越したうえでの、音声放送の枠組みにこだわった多チャンネル化への積極投資であった。
1988年にはFM音声多重波を使った独立音声放送を開始(東海大付属高の授業番組を配信。1998年終了)、
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