小松理虔(こまつ・りけん) 地域活動家
1979年生まれ。地元テレビ局記者などを経て、現在はローカルアクティビスト(地域活動家)。福島県いわき市小名浜で企画展示スペース「UDOK.」(うどく)を主宰。「いわき海洋調べ隊『うみラボ』」共同代表。『新復興論』(ゲンロン)で第18回大佛次郎論壇賞。共著に『常磐線中心主義』など。
※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです
漁業者だけに責任を負わせてはならない
「思い切って放出するほかに選択はない」。
原田義昭前環境相による、そんな発言を皮切りに、東京電力福島第一原発で増え続け、膨大な数のタンクに保管されている「トリチウム水」の処理方法が議論を呼んでいる。松井一郎大阪市長からは大阪湾への放出論が飛び出し、その後、小泉進次郎新環境相が原田氏の発言についての釈明に追われた。小泉新環境相への注目の高さもあり、テレビや新聞などでも報じられ、SNSにはさまざまな意見が日々書き込まれている。
世界中の原発で海洋放出されているのだから同様にという意見もあれば、経済的合理性から賛成だとする人もいる。一方、海洋放出は風評被害を引き起こし福島の漁業復興を妨げるから反対だという人もいれば、処理水の安全性は確認されていないという人もいる。それ以前に、本当に適切に処理されているのかを疑う人たちも少なくない。
筆者も、この問題に強い関心を寄せるひとりだ。福島県いわき市に暮らし、漁業や水産業に関する広報やPR、イベントの企画や商品開発などに関わっている。漁業者ほど当事者性は強くはないが、漁業に間接的に関わる現場の人間として、あるいは、福島の魚を日常的に食べている消費者としての当事者性はある。今回は、その「地元消費者」の目線で、この厄介なトリチウム水について考えてみた。何らかの判断材料になれば幸いだ。
このトリチウム水問題。最近になって急に議論が盛んになったように見えるが、今になって発生した問題ではもちろんない。国は、有識者とつくる小委員会を設置し、2013年から最終的な処理方法を話し合ってきた。2016年には海洋放出、地中埋設、水蒸気放出など5つの選択肢が示され、それを受けて公聴会も開かれた。そして、今年8月には、漁業者の意向を受け、小委員会が「陸上での長期保管」も含めた議論の継続を確認したばかり。そんな中での「海洋放出ありき論」。現場から強い批判を受けるのも無理はない。
いわき市内で発行されている隔週刊の独立紙「日々の新聞」10月1日号(第398号)には、福島県漁連の野崎哲会長の次のようなコメントが残されていた。
「漁業者はこれまで、サブドレン(注)やバイパスからの放出に協力する過程で、トリチウムの汚染水については『協力するのだから流さないで』と訴え続けてきました。担当部門からは『関係省庁と合意しない限り流さない』という答えをもらっています。小委員会でさまざまな議論を経て結論を出し、国民的議論をしていくことになるわけですから、軽率な、誤解を与える発言は慎んでもらいたいと思っています」。
科学的に安全なのだから流して良い、国民も納得するというのであれば話は早い。けれども実際には、消費行動や流通への影響を食い止めることはできなかった。原発事故直後、福島県産品は売り場から弾かれたり、震災前のような価格がつかなかったという経験をしている。8年かけて少しずつ慎重に売り場を取り戻し、ようやく再生・自立への道筋が見えてきたところなのだ。トリチウム水の放出で水を差さないでほしいという漁業者の気持ちは強く理解できる。
筆者も2013年から3年ほど、いわき市内のかまぼこメーカーで広報として働いた。放射線に関して初歩的なことから学び、安全性を伝えなければならなかった。その過程で酷い言葉を投げつけられたこともある。今の福島の漁業・水産業を見ると、よくぞここまで復活したと思わずにいられない。けれども、トリチウム水の海洋放出によって起こるであろう風評被害を打破するための体力は、もう残されていないとも思う。漁業者も水産関係者も疲れ切っている。
トリチウム水の放出は筆者も現状では反対だ。けれども、いずれは海洋放出するしかないことはよく理解している。では、どういう状況になれば放出を容認できるのだろう。それを敢えて考えてみたのが本稿の役割である。クリアすべき問題がわかってくれば、それほど時を待たなくても放出を許容できるかもしれないし、消費者の側からアクションを起こし、漁業者の傷を小さくできるかもしれない。
(注)サブドレン=1~4号機建屋周辺につくられ地下水をくみ上げている井戸