障害を持って生まれた子を受け入れるということ
小児科医はなぜ、『いのちは輝く わが子の障害を受け入れるとき』を書いたのか
松永正訓 小児外科医・作家
開業医への転身が転機に

手術をする松永正訓さん(前列右)
大学病院で働いていた19年間は、ただとにかく赤ちゃんの命を助けたいとの一心だけでした。「命とは何か」という問いに対して、答えを出すいとまもなかったと言えます。
ところが開業医になってから、この問いに真剣に向き合わざるをえなくなります。それは2013年に上梓した『運命の子 トリソミー』という本が契機でした。13トリソミーという先天性染色体異常児のかかりつけ医を頼まれて、この家族と交流を深める中で、障害の受容ということについて深く考えるようになったからです。
この本を書くときに、関連する専門書を大量に読みました。いい本にたくさん出会いましたが、その多くはかなり専門的な内容で、一般の人には読みづらいと感じました。
幼い命に関わる大事なことを、どうしたら多くの人に伝えられるのか。そう考えたとき、小児外科医である自分自身が体験したことを素直に書けば伝わるのではないかと思ったのです。その意味で、本書はいわば生命倫理の入門書なのですが、生命倫理にまつわる専門用語は一切使っていません。
2週に1回の連載でしたが、そのつど書く内容を決めるのではなく、合計40回の記事を連載開始前に目次として作成し、全体で一つの世界観を作ろうと構想を練りました。もちろん、途中で書く内容を見直したりしましたが、当初の構想はほぼ最後まで維持されました。
当事者の言葉から感じた日本の福祉の弱さ

手術をする松永さん
連載が始まるとすぐに大きな反響がありました。特に第3回の「口唇口蓋裂を受け入れられなかった家族」には、読者から多数のコメントが付きました。
記事の内容は、口唇口蓋裂を受け入れられなかった家族が、先天性食道閉鎖の手術を拒否して、赤ちゃんが亡くなってしまうというものでした。まるで、『生命(いのち)かがやく日のために』に出てくる赤ちゃんと同じような経過です。
残念なことに、コメントの内容の大半は「障害児は生まれてこない方がいい」や「育てる必要はない」といった、障害児に対して不寛容な言葉の数々でした。筆者である私が育てたらいいという意見ももらいました。これも『生命(いのち)かがやく日のために』に対する投書の内容と重なると感じました。
ただ、批判のコメントの中にも学ぶものはありました。それは、家族の中に障害児(者)がいて、これまで非常に苦労して育ててきて、その大変さをネガティブに語る人の心情です。私も具体的にそういう家族に接してきた経験があります。
当事者から強い言葉を聞くと、日本の福祉はまだ弱いなと感じました。私たちの福祉制度は、行政に対して自分からアプローチしないと何も与えられない面があります。自分から声を出して、人とつながっていくことが障害児(者)を守るカギになります。
福祉とうまくつながれない家族に対して行政は何ができるのか。もう少し考えてもいいように感じました。