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ポリオ(小児まひ)根絶史。64年五輪前の狂騒曲

武田徹 評論家

“本命”生ワクチンに政治の影

 こうして国産化計画に赤信号が灯るなか、61年にもポリオの発生が報告され始める。保健所からの報告を厚生省が集約していたそれまでの体制では患者数の発表まで1カ月かかっていたが、NHKが各地の情報を集計し、即刻報告するようになっていた。この「ポリオ日報」活動についてNHK社会部記者の上田哲(後に日本放送労働組合中央委員長を経て社会党から出馬し、衆参社会党議員となった)が後に著書『根絶』(現代ジャーナリズム出版会)でまとめている。

 そこに注目すべき文言がある。ポリオのキャンペーン報道を上田は60年の夕張の流行中に思いついた。そして今後の報道の方針をこう決めたという。

 来年もまたニ、三千〜五、六千人の患者は必ず出る。それだけの発生を、十分に予防対策のない去年までなら目をつぶっていたのもやむをえない。しかしもうそうではならないはずだ。なぜなら、すでにわれわれには生ワクチンがある。根絶の可能性まであるこの時期に、もはやいかなる流行も許してはならぬ。そもそも手足が不自由になる子供の数が数万人いれば社会問題だが、数千人では問題ではないという話はない。来年こそは、今まで問題にできなかった数千人という例年なみの患者の数を、あえて“大流行”と大声を叫び上げて勝負することが本当なのだ。今は母親たちと手を携えて力いっぱいたたかうことができるのだ、恐怖を撒くのではない、根絶を目指すのだ。「流行だ、流行だ」と精一杯叫んでみよう。

上田哲氏拡大NHKから転身後は、衆参で国会議員(社会党)を務めた上田哲氏
 生ワクチンとは何か。不活化ワクチンに少し遅れて、やはり米国でアルバート・ソービンが毒性を弱めたウイルスを生きたまま利用する経口生ワクチンを開発。予研ではソービンから提供を受けた生ワクチンを用いて実験を開始しており、たとえば『読売新聞』59年7月22日には予研の北岡正見が「確実で早い効果」と題して寄稿している。

 ソークワクチンは接種した当人の感染は防げるが腸内に生息するウイルスまでは殺せない。その点、生ワクチンは本人の発症予防だけでなく、腸内のウイルス増殖も抑えるので流行の鎮圧まで期待できた。関係者の話を聞いてそれを知っていた上田は生ワクチンこそ“本命”と見込んでいたのだ。

 しかし、生ワクチンは政治の影を帯びていた。当時、その最大の生産能力を持っていた国はソ連(ロシア)だったのだ。実際、60年11月にはソ連中央評議会が総評に生ワクチン10万人分を提供すると申し出ている。ワクチンを外交の手段とする、後の中国の“パンダ外交”に近い状況が生ワクチンを巡って繰り広げられていたのだ。

 厚生省はこの“善意”の申し出に対して、生ワクチンは日本ではまだ基礎実験の段階で、製造方法や安全性を調べる検定方法も確立されていない。輸入しても使えないという見解を示してストップをかけた。

 しかし、それは“赤いワクチン”を受け入れるわけにはいかないというメンツの問題にほかならず、ワクチン国産化が暗礁に乗り上げ、対策において致命的に後手に回りつつあった厚生省としては即効性のある生ワクチンは喉から手が出るほど欲しかった。そんな状況の中で上田は「数千人という例年なみの患者」数であっても「あえて“大流行”と大声を叫び上げ」、本命の生ワクチンに舵を切らせようとしていたのだ。

1961年 第32回メーデー 小児マヒワクチン配布を訴える子ども拡大1961年5月のメーデーで、生ワクチンの配布を訴える子ども。「早く!! 生ワクチン」の文字が見える
 NHKニュースのポリオ日報が始まった61年4月16日時点で患者数は全国で423人、4月末には500人に達した。こうなると厚生省も土俵際まで追い詰められる。実は厚生省はソークワクチンを使っていくという姿勢を表向きで取りつつも、全国の学者や小児科医を構成員とする「弱毒生ポリオウイルスワクチン研究協議会(生ワク協議会)」を60年12月に発足させ、研究に当たらせていた。その活動費は池田内閣で閣議了承された緊急対策要綱の予算が用いられていたので厚生省の隠密部隊であることは明らかだった。

 5月6日には2月に予研に届いていた(ソ連製ではない)英国ファイザー製生ワクチン4700人分を生ワク協議会の医師たちが魔法瓶に詰めて全国に持ち帰り、治験を始めている。

 九州に前年の夕張を彷彿させる流行の兆しが見られるようになった5月17日には、閣議で予研に備蓄されていたファイザー製生ワクチン5万人分の放出を決めるとともに、英国に問い合わせてさらに30万人分を緊急輸入し、合計35万人分が26日に九州で“実験投与”されることになる。

 しかし、まだ足りない――。

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筆者

武田徹

武田徹(たけだ・とおる) 評論家

評論家。1958年生まれ。国際基督教大大学院比較文化専攻博士課程修了。ジャーナリストとして活動し、東大先端科学技術研究センター特任教授、恵泉女学園大人文学部教授を経て、17年4月から専修大文学部ジャーナリズム学科教授。専門はメディア社会論、共同体論、産業社会論。著書に『偽満州国論』、『流行人類学クロニクル』(サントリー学芸賞)、『「核」論――鉄腕アトムと原発事故のあいだ』『戦争報道』、『NHK問題』など。

 

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