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ポリオ(小児まひ)根絶史。64年五輪前の狂騒曲

武田徹 評論家

 2019年5月末、各メディアで配信されたニュースに驚いた人も少なくなかったはずだ。

 厚生労働省は、エボラ出血熱などの危険性が高い感染症の病原体を、今夏にも海外から輸入する方針を決めた。東京五輪・パラリンピックを来年に控え、検査体制を強化するのが狙い。東京都武蔵村山市にある国立感染症研究所の施設で病原体を扱う。30日、地元住民らとの協議会で病原体の受け入れが大筋了承された。
 輸入する病原体は、感染症法で最も危険性が高い1類に指定されたエボラ出血熱、ラッサ熱、クリミア・コンゴ出血熱、マールブルグ病、南米出血熱のウイルス。発熱や出血などを引き起こし、致死率が高い。(『朝日新聞』2019年5月31日)

エボラウイルス=米疾病対策センターのホームページから拡大エボラウイルス=米疾病対策センターのホームページから

 人やものの行き来が活発になると国内に存在しない感染症が持ち込まれるリスクが高まる。グローバル時代の宿命。東京で開催される五輪を観戦しようと世界中から人が集まれば、確かに感染症リスクも高まるのだろう。

 だから検査体制を強化するというのは理解できる。しかし国内に新しい感染症が持ち込まれることを恐れているのに、自分から病原菌を持ち込んでしまうという論理がどうもわかりにくい。まるでサッカーの「オウンゴール」のようではないか。

 わかりにくいから調べてみようと思った。資料を手繰っているうちに1964年五輪も感染症と無縁だったわけでなかったことに気づいた。 

 たとえばポリオ(急性灰白髄炎)という感染症がある。日本では1940年代から全国各地で流行が発生、毎年およそ3000〜5000名の患者が出ていた。幼い子どもが罹(かか)りやすく、重症化すると運動神経が侵されて筋肉が麻痺し、呼吸ができなくなって死に至る患者も少なくなかった。治療薬はない。“鉄の肺”と呼ばれていた巨大なタンク状の人工呼吸器に身体全体を入れて九死に一生を得る患者もいたが四肢に麻痺が残ることがあったので日本では「小児まひ」と呼ばれていた。

 この病気が60年に北海道夕張市で大流行した。防疫のために陸上自衛隊が出動、総量4万5000リットルもの農薬DDTを散布する大事になった。ハエがウイルスを運んでいると考えられたからだったが、もとはと言えば下水の未整備が原因で、環境中にポリオウイルスが広まっていたことがそもそもの元凶だった。開高健が『ずばり東京』で「ぼくの黄金社会科見学」と題して訪問していた下水処理場は感染症対策の一環として建設が急がれてもいた。

 こう書くと読者諸兄の脳裏に浮かぶ疑問があるだろう。治療薬はなくとも予防はできたんじゃないか、ワクチンはどうしたんだ。と。

 確かにポリオワクチンはこの時点でも存在していた。53年に米国人ウイルス学者ジョナス・ソークが感染性をなくしたポリオウイルスを用いた不活化ワクチンを作っている。この“ソークワクチン”は日本にも54年4月に輸入され、幼児5名に実験使用されて以来、希望者への接種が続いていた。

 だが流行を防ぐには全く数が足りなかったのだ。岸内閣崩壊後に発足したばかりの池田内閣は夕張の流行を目の当たりにし、ポリオ対策の必要性を思い知る。事態は急を要した。ソークワクチンは3回の接種が必要で、効力を十分に発揮させるには2回目と3回目の接種の間に7カ月を空ける必要がある。60年12月からの国会招集を待って審議を重ねてから動き出すのでは夏の流行に間に合わないのだ。

 そこで池田内閣は60年11月に閣議了解をもって翌年1月までにワクチンの確保と(効果と安全性の)検定を行うことを定めた「急性灰白髄炎緊急対策要綱」を実施しようとした。これを受けて厚生省は61年末までに必要となるソークワクチンの量を1万8000リットルと見積もり、うち1万1000リットルを国産でまかなう計画を立てた。

 実は国立予防衛生研究所(略称「予研」、現国立感染症研究所)が58年から民間業者と共同で製造法の開発にあたっており、国産化ができれば十分な量のワクチンが用意できるはずだった……のだが、60年11月に千葉血清研究所が国産第1号のソークワクチン600リットルを完成させたものの、予研で検定した結果、効力が十分ではないことが分かって不合格に。国産第2号の大阪微生物研究所製造の600リットルも安全性が疑われて不合格となる。

予防衛生研究所東京・品川区上大崎では細胞の培養、培養されたウイルスなど、すべて厳重に隔離され、滅菌された室の中で行われ、器物も使用のたびごとに慎重に消毒する1959年拡大国産のポリオワクチンを研究していた国立予防衛生研究所内=1959年、東京・品川区上大崎。

 合否の判定を下していた予研も順風満帆からほど遠かった。47年に東大伝染病研究所の一角に設置された予研は55年に品川の旧海軍大学校跡地に移転していたが、ワクチン製造が本格化する中で施設が手狭となり、検定業務に遅れが出るなどの支障を来すようになっていた。

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筆者

武田徹

武田徹(たけだ・とおる) 評論家

評論家。1958年生まれ。国際基督教大大学院比較文化専攻博士課程修了。ジャーナリストとして活動し、東大先端科学技術研究センター特任教授、恵泉女学園大人文学部教授を経て、17年4月から専修大文学部ジャーナリズム学科教授。専門はメディア社会論、共同体論、産業社会論。著書に『偽満州国論』、『流行人類学クロニクル』(サントリー学芸賞)、『「核」論――鉄腕アトムと原発事故のあいだ』『戦争報道』、『NHK問題』など。

 

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