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天皇制と闘うとはどういうことか

融通無碍な鈍感さを許さない政治的・歴史的想像力を奪還する

菅孝行 評論家・劇作家

戦後へ延命した天皇制

 新憲法下での天皇は国政に関与する権能をもたない「象徴」と規定されている。それでもこの国は現在でも君主制国家である。君主制国家は国連加盟192カ国のうち30カ国、独立国家群の中でガラパゴス化している。

拡大「日本国憲法公布祝賀都民大会」に集まった人々に、帽子を振って応える昭和天皇=1946年11月3日、東京・皇居前広場
 敗戦後、天皇制が存置された決定的な原因は、アメリカの占領政策にあった。日本を統治するには、日本人の幻想の共同性の核心にある天皇崇敬を温存し、天皇に権威づけられた日本政府に占領政策を執行させるのが最善、とアメリカは判断した。

 加藤哲郎の『象徴天皇制の起源』によると、アメリカは1942年の段階から、占領後、天皇制の存置、主権の剥奪、極東軍事裁判での天皇不訴追など、実際に執行されたのとほぼ同一の占領政策を策定していた。これは「日本計画」と呼ばれた。この対日占領政策は、大戦終結後の冷戦を視野に入れた高度な地政学的判断に基づいている。

 全てはどうすればアメリカの国益に適うかによって判断された。指針ははじめは「民主化」、冷戦激化とともに「反共の防波堤」化、今日の視野から見れば、高度に発達した資本制国家となった後にも、日本が自発的にアメリカの国益に従属するしかない構造を作り出すことだった。

魚心・水心―日本支配層の反応

 「国体護持」を戦争終結の絶対条件として来た天皇と日本政府は、アメリカの構想に飛びついた。米日の野合をいち早く批判したのは、映像作家亀井文夫だった。『日本の悲劇』(1945年)には、軍服から背広に着替えて生きのびる裕仁の映像が捉えられている。GHQはこの作品を直ちに押収し、ネガを破棄した。残っていたポジフィルムから再現された映像には、豹変して延命する天皇の姿が的確に捉えられている。

拡大昭和天皇の「沖縄メッセージ」を批判する那覇市の街頭宣伝。昭和天皇は宮内庁御用掛だった寺崎英成を通じてアメリカに対し「沖縄を始め琉球の他の諸島を軍事占領し続けることを希望している」というメッセージを伝えていた=1989年1月12日、那覇市国際通り
 訴追を免れた天皇裕仁は、国政の権能を失った(1947年5月3日)後もなお、重大な局面で政府の「助言と承認」に基づかない行動を取った。第一が無期限に沖縄を米軍に「貸与」することをアメリカに提案した「沖縄メッセージ」(同年9月、進藤栄一が1979年に発見)である。この罪状は白井聡(『国体論 菊と星条旗』)が言うように外患誘致罪に
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筆者

菅孝行

菅孝行(かん・たかゆき) 評論家・劇作家

1939年生まれ。舞台芸術財団演劇人会議評議員、ルネサンス研究所運営委員、河合文化研究所研究員。著書に『戦う演劇人』(而立書房)、『天皇制論集第1巻 天皇制問題と日本精神史』(御茶の水書房)、『三島由紀夫と天皇』(平凡社新書)、『天皇制と闘うとはどういうことか』(航思社)、編著に『佐野碩 人と思想』(藤原書店)など

※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです