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高病原性ウイルスを輸入する感染症研究所を訪ねて

五輪を前に休眠から目覚めたBSL4施設

武田徹 評論家

 2019年5月に感染症法上の第1類に分類される高病原性のウイルスの持ち込みが発表された国立感染症研究所村山庁舎を訪ねてみた。武蔵村山市は東京都で唯一、鉄道が通っていない市だ。感染研に関しても西武拝島線と多摩都市モノレールが交差する玉川上水駅が比較的近いとはいえ、歩ける距離とは言い難く、路線バスなり自動車なりの世話になることになる。車窓には集合住宅や一戸建ての住宅が立ち並び、ファミレスやドラッグストアが沿道に営業している典型的な郊外の風景が続く。

 しかし、ポリオワクチンの検定のために感染研の前身となる国立予防衛生研究所(予研)がここに村山分室を作った時の風景は全く違っていたようだ。

日産村山工場跡地=撮影・筆者拡大広大な日産村山工場跡地=撮影・筆者

 武蔵村山の“特産品”は長く自動車だった。1950年代末には自動車の貿易自由化が秒読み状態だと言われ、自動車メーカーはいずれも量産体制の確立を急いでいた。プリンス自動車(社名は転々と変わっているがここでは便宜的にプリンスで統一する)も59年初めごろから工場用地の検討を開始し、村山、砂川両町にまたがる約40万坪の平地に目星を付けた。「今となっては信じられないが、この広大な土地には人家は牧畜農業わずか一軒しかなかった」(桂木洋二『プリンス自動車の光芒』グランプリ出版)という。当時の村山町は青梅街道沿いに住宅があったが、その南側は表土が薄いこともあって農地化されずに残っていた。予研が分室を作った国立療養所の周辺にも人家はほとんどなかったはずだ。

 62年に工場の創業を開始したプリンス自動車は66年には日産自動車と合併して消滅するが、ドラマチックなエピソードを置き土産にしている。村山工場にはトヨタ、日産にもない1.4kmの長いストレートを含むテストコースが造られていた。そこで鍛えた車両の実力披露の場を求めてプリンス技術陣は64年5月に鈴鹿サーキットで開催された第2回日本グランプリに照準を合わせ、市販車スカイラインのボディを延長して、グロリア用6気筒エンジンを無理やり積み込んだスカイラインGTを参戦させる。

元工場敷地で「スカイラインGT-R発祥の地」拡大日産村山工場跡地の公園近くにある碑。「スカイラインGT-R発祥の地」=撮影・筆者

 レース本線ではこのスカイラインGTがポルシェ904を抜き去ったのだ。ゼロからレース参戦用に開発されたポルシェ904と箱型のファミリーセダンを即席に改造したスカイラインGTとの性能差は明らかだったのでグランドスタンドの観客は首位で戻ってきた“スカG”を総立ちとなって歓声をあげて迎えた。すぐにポルシェが抜き返したのでその英姿は1周しか拝めなかったが、そこで味わった、戦争ではない場所で世界と競い合う興奮はそのまま東京五輪に繋がってゆく。村山工場記念誌『憩いの広場』にはプリンス社員が聖火ランナーや競技役員に積極的に参加し、グロリアが聖火リレーの伴走車両となったことを誇らしげに記している。

日産村山工場跡地拡大日産村山工場跡地=撮影・筆者

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筆者

武田徹

武田徹(たけだ・とおる) 評論家

評論家。1958年生まれ。国際基督教大大学院比較文化専攻博士課程修了。ジャーナリストとして活動し、東大先端科学技術研究センター特任教授、恵泉女学園大人文学部教授を経て、17年4月から専修大文学部ジャーナリズム学科教授。専門はメディア社会論、共同体論、産業社会論。著書に『偽満州国論』、『流行人類学クロニクル』(サントリー学芸賞)、『「核」論――鉄腕アトムと原発事故のあいだ』『戦争報道』、『NHK問題』など。

 

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