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 令和になって半年が経つ。5月1日に剣璽等承継の儀により皇位が継承され、10月22日には即位礼正殿の儀が執り行われた。いよいよ令和の時代の本格スタートである。

 平成の30年間は、伊勢湾台風以降の昭和後半の30年間と比べ、地震が多発した。震度7の地震は、兵庫県南部地震、新潟県中越地震、東北地方太平洋沖地震、熊本地震の前震と本震、北海道胆振東部地震と6度も起き、死者が200人を超える地震も北海道南西沖地震、兵庫県南部地震、東北地方太平洋沖地震、熊本地震と4度もあった。

 いずれも昭和後半には無かったことである。西日本内陸での被害地震の数も多い。南海トラフ地震の準備過程の30年間だったようにも感じられる。今後30年間の南海トラフ地震の発生確率は70~80%と言われており、令和の時代に発生する可能性が高い。

 この半年、6月に山形県沖地震が発生し、その後、8月豪雨、台風15号、19号、21号と、風水害に見舞われた。令和の時代も、平成と同様、自然災害の多い時代となりそうである。改めて気を引き締めたい。

令和と万葉集と張衡

拡大太宰府政庁跡で、当時の文献を参考にして作った衣装を着て大伴旅人の歌などを読み上げる人たち=2019年4月2日、福岡県太宰府市

 令和の2文字は、万葉集第五に収録された「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」からとったとされる。

 この歌は、大宰府長官である大宰帥だった大伴旅人(665~731)が、大宰府で催した梅花の宴で詠まれた梅花の歌三十二首の序文にある。大伴旅人は万葉集の編纂に関わった大伴家持(718~785)の父である。梅花の宴は、中国の書家・王義之(303~361)が蘭亭序に記した曲水の宴を模したとも言われる。

 「初春令月、気淑風和」は、中国の昭明太子(501~531)が編纂した詩文の選集・文選にある「仲春令月、時和気清」と関りが指摘されている。これは、張衡(78~139)が帰田賦に詠んだものである。

 文選は中国の美文の集大成で、遣隋使や遣唐使が日本に持ち帰ったとされている。万葉の歌人たちは、文選を通して中国の古典を学んでいたと想像され、万葉集もこれに影響を受けた可能性がある。

 「仲春令月、時和気清」と詠んだ張衡は、稀代の天才だったようで、中国のレオナルド・ダ・ヴィンチ(1452~1519)とも言える。政治家であり、文学者、科学者でもあった。文学者としては、「西京賦」「東京賦」「思玄賦」「南都賦」「思玄賦」「帰田賦」などの詩賦を著した。詩賦とは中国の韻文で、一定の韻律をもち、形式の整った文章のことだそうだ。科学者としては、天文学者として有名であり、天体測定の渾天儀を発明し、「霊憲」という天文書も著した。

 地震との関わりでは、候風地動儀という世界初の地震計も開発者でもある。地動儀は壺のような形をしていて、壺の外側に球を口にくわえた龍が8つ取り付けられている。壺の周囲には、口を開けたカエルが8匹配されている。壺の中に柱が立っていて、小さな地震の揺れでこの柱が倒れて龍の口に通した棒を押し、壺の外にある龍の口が開く。すると、龍がくわえている玉がカエルの口に落ちて大きな音を出し、地震を知らせる。球が落ちた方向から、地震の起きた方向を知ることができる。

 132年に初めて制作され、138年に洛陽に置いてあった候風地動儀の玉がカエルの口に落ちて音が鳴ったという。後日、1000kmも離れた甘粛省朧西の地震だったことが分かり、話題になったらしい。

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筆者

福和伸夫

福和伸夫(ふくわ・のぶお) 名古屋大学減災連携研究センター長・教授

1957年に名古屋に生まれ、81年に名古屋大学大学院を修了した後、10年間、民間建設会社にて耐震研究に従事、その後、名古屋大学に異動し、工学部助教授、同先端技術共同研究センター教授、環境学研究科教授を経て、2012年より現職。建築耐震工学や地震工学に関する教育・研究の傍ら、減災活動を実践している。とくに、南海トラフ地震などの巨大災害の軽減のため、地域の産・官・学・民がホンキになり、その総力を結集することで災害を克服するよう、減災連携研究センターの設立、減災館の建設、あいち・なごや強靭化共創センターの創設などに力を注いでいる。

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