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英軍ラグビーチーム靖国神社訪問の波紋

A級戦犯分祀では解決できない

内田雅敏 弁護士

英、有力紙「タイムズ」の批判

 英軍ラグビーチームの靖国神社訪問は国際的に大きな問題となった。9月19日付英有力紙「タイムズ」電子版は、「英国軍ラグビーチームが戦争犯罪者を祀る日本の神社を訪問」と題して、靖国神社訪問を厳しく批判した。同記事によれば、英軍選手たちは、「靖国神社ガイドツアー」を行い、神職の案内の下、靖国神社の博物館である「遊就館」も見学したという。

 タイムズの取材に対して、チームの靖国神社訪問をオーガーナイズしたアーティ・ショウ英軍指揮官は、「認識不足でとても考えが甘かったと思う」などと話したという。訪問の後、英軍チームは駐日英大使から叱責され、「今後いかなる神社をも参拝することがないように」と言われたという。英軍代表チームのツイッタ―アカウントは、件の写真を削除した。

 タイムズ記事を韓国の新聞、通信が取り上げたことから、この問題を巡る騒ぎは更に拡大し、駐日英国大使は「叱責」しなかった、否、した、とかの「論争」がネット上でなされている。英軍ラグビーチームが、靖国神社がどんなところか「認識不足」のままに訪問し、そのことについて英国大使館筋からも「注意」されたことは事実であろう。

泰緬鉄道C56型31号機関車の展示

 タイムズの記事によれば、靖国神社を訪れた英軍ラグビーチームの面々は、職員の案内で、同神社の博物館「遊就館」も見学したという。彼らは、遊就館でどのような説明を受けたのであろうか。

 靖国神社発行の「やすくに大百科」は以下のように述べる。

[日本の独立と日本を取り巻くアジアの平和を守るためには、悲しいことですが外国との戦いも何度か起こったのです。明治時代には「日清戦争」、「日露戦争」、大正時代には「第一次世界大戦」、昭和になっては「満州事変」、「支那事変」そして「大東亜戦争(第二次世界大戦)」が起こりました。][戦争は本当に悲しい出来事ですが、日本の独立をしっかりと守り、平和な国として、まわりのアジアの国々と共に栄えていくためには、戦わなければならなかったのです。]

 靖国神社は日本の近・現代史を丸ごと肯定し、日本の近・現代におけるすべての戦争は「聖戦」であったとしている。この「聖戦史観」は、「東京裁判」の否定であり、国際社会で全く通用しないことは、もちろん、歴代日本政府の公式見解にも反する。また、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し」(憲法前文)た、日本国憲法秩序にも反する。

 遊就館の展示は、この「聖戦史観」に立脚したものだが、靖国神社職員らは、英軍ラグビーチームの面々にどう説明したのだろうか。英軍ラグビーチームの面々は、遊就館1階ロビーに展示してある泰緬鉄道C56型31号機関車をどう見たのだろうか。展示説明文には、「泰緬連接鉄道」と題し、以下のように書かれている。

 「昭和17年6月、日本軍は、ビルマ、インド侵攻作戦の陸上補給を目的にタイ(泰)のノンプラドッグからビルマ(緬甸)のタンピザヤの最短距離415キロの区間で鉄道建設を開始した。工事は日本の国鉄規格を基本にして、鉄道第五、第九聯隊を中心に連合軍捕虜や現地住民など約17万人が従事し、1年3ヶ月という驚異的な速さで、昭和18年10月に開通した.この区間はかってイギリス軍が建設を構想したが断念したもので、険しい地形と苛酷な熱帯気候などの悪条件の下、敷設は困難を極めた。」

拡大泰緬鉄道開通当時の蒸気機関車C56型31号=1942年
 展示されている泰緬鉄道C56型31号機関車は、泰緬鉄道の開通式に使用された蒸気機関車で、戦後もタイで稼働していたところ、1977年に引退することになったので、泰緬鉄道建設に関係した南方軍鉄道隊関係者が、拠金してタイ国有鉄道から譲り受け、1979年、靖国神社に奉納されたものであるという。

 映画『戦場にかける橋』で知られる泰緬鉄道は、タイ、ビルマの現地住民、英軍、豪州軍らの捕虜が、十分な食事も与えられないまま、長時間の苛酷な奴隷労働に従事させられ、約1万3千人もの死者を出した。この奴隷労働は、日本の敗戦後、シンガポールでのB・C級戦犯裁判で、捕虜収用所長、鉄道隊司令官らが裁かれ、絞首刑を含む重罰に処せられた日本軍の戦争犯罪の代表例の一つである。

 1971年10月、昭和天皇が英国を訪問した時、天皇車列の沿道に並んでいた泰緬鉄道工事に従事させられた英軍元兵士らが、一斉に天皇車列に背を向け、映画『戦場にかける橋』の主題歌クワイガーマーチを口ずさんで抗議の意思を示したという。

 その泰緬鉄道で、現実に、しかも開通式にも使用された機関車なのであるから、戦争犯罪の証拠に類するもの

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筆者

内田雅敏

内田雅敏(うちだ・まさとし) 弁護士

1945年生まれ、1975年東京弁護士会登録。日弁連人権擁護委員会委員、同接見交通権確立実行委員会委員長、関東弁護士会連合会憲法問題協議会委員長、西松安野友好基金運営委員会委員長を経て、現在、日弁連憲法委員会委員。通常業務の他に、中国人強制連行・強制労働問題(花岡、西松、三菱マテリアル)など戦後補償問題、靖國問題などに取り組む。著書に『弁護士 ― 法の現場の仕事人』(講談社新書)、『「戦後補償」を考える』(同)、『〈戦後の思考〉―人権・憲法・戦後補償』(れんが書房新社)、『半世紀前からの贈り物』(同)、『戦争が遺したもの』(同 鈴木茂臣氏との共 著)、『憲法9条の復権)(樹花舎)、『敗戦の年に生まれて』(太田出版)、『在日からの手紙』(同 姜尚中氏との共著)、『憲法9条と専守防衛』(梨の木舎 箕輪登氏との共著)、『靖國にはゆかない、戦争にもゆかない』(梨の木舎)『乗っ取り弁護士』(ちくま文庫)、『これが犯罪?「ビラ配りで逮捕」を考える』(岩波ブックレット)、『靖國問題Q&A 特攻記念館で涙を流すだけでよいのでしょうか』(スペース伽耶)など。