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道徳教育を推進する人は、なぜ反道徳的なのか?

面倒な議論に手っ取り早い答えを出す人々の害

吉岡友治 著述家

価値判断としての道徳

 道徳とは、人間行動についての価値判断である。つまり、人間ならば何をなすべきか、何をなすべきでないのか、を判断する価値基準を「道徳(モラル)」と呼ぶのだ。「利己主義」は、自分の受けるメリットを第一に考えて行動を選ぶし、「自由主義」は他人に迷惑をかけない限りなら、自分の選択した行動は他人から妨げられない、と主張する。反対に「利他主義」なら、人間は、自分よりも他人の利益になる行動をまずなすべきだという。

 これらの「何をすべきか」の基準は、簡単な倫理学テキストを見れば(たとえばJ・レイチェルズ『現実を見つめる道徳哲学』晃洋書房刊)、相対主義・主観主義・功利主義・社会契約論など山のようにあり、どれも他と対立する原理だから、どれがすぐれているか、すぐにはわかりっこない。実際、利己主義だが道徳的ということも十分ありえるのである。

拡大小学校で使用されている道徳教科書

利己主義の効用

 たとえば、経済学者アダム・スミスの「見えざる手」は、市場経済による資源の最適分配を意味している。つまり、人々が自分の利益しか考えない利己主義者ばかりであったとしても、いや、そうであるからこそ、社会全体としては望ましい状態が実現する、というのだ。もしこの仕組みが本当に働くならば、ことさら道徳的に振る舞う必要はなく、利己的に振る舞えば十分うまくいくのである。

 それどころか、利己主義をきちんと貫かないと、社会は悪くなる。これは、実際にわれわれは経験している。たとえば、古紙の再生は、その昔、業者によって行われていた。住宅地に「ちり紙交換」業者が回ってきて、トイレットペーパーと交換に家庭の古紙を引き取った。この仕組みはそれなりにうまくいき、リサイクル率も悪くなかった。つまり業者が自分の利益を追求した結果、「望ましい状態」が実現したのである。

 ところが、環境運動などの影響でリサイクルが「善いこと」になって、町内会などがボランティアで古紙集めをする。その結果「ちり紙交換」業者が閉め出され、古紙の市場価格が下がり、多く業者が倒産してリサイクル率も下がった。結局「善いことをしよう」という行動が、雇用を奪い「望ましい状態」を壊したのである.

 このように、「善いこと」に見えても、それが全体に広がると急速に悪い結果を生み出すことが、しばしばある。一人一人がお金を貯めようと節約する美徳が広がると、社会全体で物が売れなくなって不況に陥り、皆貧しくなるという原理と同じである。

教化・宣伝説の誤り

 だが「善いこと」を広めたいと一生懸命な人は、このメカニズムを見ない。目的が素晴らしいだけで、善いことをしている気になるらしい。しかし「一人一人が善いことをすれば、全体も善い結果になる」ほど、社会はシンプルに出来ていない。それなのに、「善いこと」を教化・宣伝し、実行できない人には強制すれば、社会全体もよくなるという甘い見通しをどうして立てられるのか? 私には不思議でならない。

 道徳の原理の間の矛盾は、実は、子どもにも気づかれている。ある理科の授業で大根を植え、ちょっと育って間引くという時「なぜ、大根の芽を間引くのですか?」という質問が出た。教師が「弱い芽を抜くと強い芽だけが残って大きな大根になるのよ」と説明したところ「先生は、いつも弱い人を助けようと言っているのに、

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筆者

吉岡友治

吉岡友治(よしおか・ゆうじ) 著述家

東京大学文学部社会学科卒。シカゴ大学修士課程修了。演劇研究所演出スタッフを経て、代々木ゼミナール・駿台予備学校・大学などの講師をつとめる。現在はインターネット添削講座「vocabow小論術」校長。高校・大学・大学院・企業などで論文指導を行う。『社会人入試の小論文 思考のメソッドとまとめ方』『シカゴ・スタイルに学ぶ論理的に考え、書く技術』など著書多数。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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