主体的で自立した教職員が、子どもにとって最大の教育環境だ
2019年12月02日
今度こそというのは、少し皮肉めいた言い方かもしれない。
今回の教育改革は明治以来の教育を変える大きな改革だと言われている。これまでも、何度も教育改革が行われてきたが、今までとは違うのだということを文科省の方が言われるのを聞いたことがある。では、今まではどうだったのだろう。
私は、1980年に新採用教員として横浜市で勤め始めた。学習指導要領が実施された年なんだと思う。無責任なようだが、新採用教員にとって教科書も初めて見るわけなので学習指導要領を見る余裕もなく、その考え方もよくわかってなかった。毎日、教科書を使って教えることに必死だった。その後の、学習指導要領の改訂では、「生活科」「ゆとりの時間」「総合的な学習の時間」という大きな変化には対応してきたが、根底に流れている教育理念を理解しているとは言い難い。
よく「教育改革は学校の門まで、よくても校長室まで」と揶揄されたものだ。目に見えることは対応できるが、根本的なところは変わらずに来たのが現場かもしれない。すべての人がそうではないだろうが、教科書を見て、初めて今までとは変わってきたことに気づく教員も多いのだと思う。
学習指導要領を読む余裕がないというのも理由としてはあるが、習ってきた通りに教えるという再現教育を続けているという問題もある。今までやってきたことややり方をなぜ変えなければならないのか? 教育改革は誰かが言っているからやらなければならないという考えでは、今回も今までと変わらないだろう。教員自身が当事者意識を持たない限り、教育改革は学校の門で止まり、学校も今までと変わらず、旧態依然とした前例踏襲型の組織として続くのだと思う。
「円たくんワークショップ」ではちゃぶ台のような白い円形のボードに参加者が次々と書き込んでいく(以下、写真は筆者撮影)
横浜市学校レクセミナー(YSRS)での「円たくんワークショップ」 次に、その姿を実現するためにどんな教育活動(授業、行事、生活など具体的な活動)が必要か、それを支える教職員集団のあり方はどうするか、働き方はどうするか等々、メンバーをかえたり、場所をかえたりしながら時間を忘れてワークショップを続けた。
参加者も部活が終わってから参加したり、一日目だけで帰ったり、二日目だけ参加したり、出入り自由な柔らかな感じの時間だった。みんな「野島未来学校」を自分たちで創っていくんだという意欲を持続させ、熱心に語り合い、アイデアを出し合っていた。一日目のワークショップが終わってからのオフタイムでは、実際に現在勤めている学校で変革を起こすために必要なことは何か、どのようなアプローチで進めていけばよいのか熱く話し合った。
現実は厳しく、学校を変えていくのは並大抵のことではできない。それも、一教員にできることは少ないだろうし、限定的でもあることが予想できる。そういう意味でも、このセミナーから学ぶことが、どんなに小さなことでも実際に現場で実現していくことが重要である。
参加者は、新採用から再任用まで幅広い年齢層、また小中高と校種も様々で多様なアイデアや意見が出された。言い方を変えると、今までの「学校」を創り直す作業をしていたと言ってもいいかもしれない。旧態依然とした、前例主義の学校を、0から創るとすれば、どんなことができるだろうかと言うことだ。学校に集う子どもも大人もみんな「楽しく生き生きできる学校」ができるのならば、持続可能な社会も実現することができるだろう。
すべての人が、誰一人取り残されることなく生き生き、楽しく、幸せに過ごせるのならば未来は明るい。今の社会がそうなっていないので、その縮図である学校も明るく楽しい場所とは言い難い。教育改革の真っただ中、教育を変えるには、学校の在り方そのものを変えていかなければならない。
横浜市学校レクセミナー(YSRS)。「円たくんワークショップ」で対話も進む
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