映画『秋の嵐 Harajuku im herbst』、30年ぶりに作品化
2019年12月17日
30年前、「昭和」から「平成」への代替わりの時期に、東京・原宿で「天皇制はいらん」と訴え続けた若者グループがあった。「反天皇制全国個人共闘〈秋の嵐〉」を名乗った彼ら・彼女らの行動を記録した映画『秋の嵐 Harajuku im herbst』(上映時間約90分、〈秋の嵐〉映像製作委員会)が、12月21日、東京都内で上映される。
映像は当時普及し始めたばかりの家庭用VHSビデオでメンバーが撮影したもので、粒子は粗く手ブレも激しい。いまでこそスマホで動画を撮影するのは日常のことになったが、この時代にマスメディアや記録映画の取材を除いて、当事者たちによって活動の記録が映像で保存されていたのは稀だ。
監督の犬川犬夫さんは1974年生まれで、30年前はまだ中学生。「反天皇制というと逮捕や衝突といった殺伐としたシーンになりがちだが、映像を見てわかるように、参加していたのは当時20代だったそこらへんの若者たち。普通に生きていた人々の顔が見えるような作品になっているはずです」と語る。
「昭和」の終わりの時期、主に昭和天皇の戦争責任を追及する反天皇制運動は、いまとは比較にならないくらい勢力があり活発だった。60年代末の全共闘運動の系譜を継ぎ、いわゆる新左翼の「正統」ともいえるそうした運動に対して、〈秋の嵐〉のスタイルはいっぷう変わっていた。
〈秋の嵐〉に参加していたのは、当時10代後半から20代の男女、数十人。学生運動の出身者だけでなく、バンドや演劇の活動をしていたメンバーもいた。昭和天皇が自身の即位後初めて沖縄を訪問しようとして、その直前に体調の悪化で断念した1987年秋に活動をスタート。〈秋の嵐〉という風変わりなネーミングも、その活動開始の季節に由来しているという。
原宿駅前や代々木公園周辺の歩行者天国(ホコ天)を舞台に、パンクロックのライブで「天皇訪沖阻止」をアピールしたり、軍服、モーニング、病院のパジャマを着た3人の「昭和天皇」がキョンシー(当時流行っていた中国の死体妖怪)になるパフォーマンスを演じたり、〈秋の嵐〉は新左翼とは別のノリの活動を続ける。
JR原宿駅前から東側の表参道、西へ向かって代々木公園へ延びる「放射23号線」は1970年代から90年代の終わりまで、日曜日ごとに歩行者天国として開放されており、竹の子族、ローラー族といった新風俗を生み出す「若者文化の発信地」とされていた。80年代末は「バンドブーム」で、「THE BOOM」「remote」など原宿ホコ天の路上からメジャーデビューしたバンドもいくつかあった。
だから原宿の路上で音楽や寸劇を行うことはごく自然なことであったが、実は「反天皇制」と結びつく必然性もあった。いうまでもなく、原宿には明治天皇を神と祀る明治神宮があったのだ。その数日本一といわれる初詣客が、明治神宮の祭神が明治天皇と昭憲皇太后であることを意識することはほとんどないだろうが、1920年(大正9年)に創建されたこの神社が、天皇の神格化を浸透させるために果たしてきた歴史的役割は大きかった。
昭和天皇は戦後すでに「人間」になっていたが、1987年秋に昭和天皇が倒れて「昭和」の終わりが意識され始めると、その戦争責任をめぐる議論がメディアにも現れるようになっていた。かつて「神」であったことも含めて、天皇と天皇制の負の歴史を追及する場として、原宿はうってつけの場所ともいえた。「反天皇制」を表現する場として原宿の地を「発見」し、運動の舞台に選んだグループは〈秋の嵐〉しかいなかった。
映画の冒頭近くで原宿駅前でマイクをもった〈秋の嵐〉のメンバーが「天皇を守るために、オレたちの表現の自由が奪われるなんて許せない!」と叫ぶシーンがある。当時も現在も(あるいは現在の方がさらに)、天皇について自由に論評し、表現することが可能なわけではない。またそれだけでなく、昭和天皇の病状が悪化すると、「歌舞音曲は控えよう」という、正体のよくわからない自粛ブームが世を覆うようになっていた。歌ったり踊ったり笑ったりすること自体が、「時節柄」憚られるようなムードが、確かにあったのだ。
「街頭にデカい音をもって出る、というムーブメントはそれまでなかったから、〈秋の嵐〉はその先駆けではあったよね。今のサウンドデモにつながっているのかもしれない」
〈秋の嵐〉の創立メンバーの一人でロックバンド「テーゼ」を率いたシンガー高橋よしあきさん(1963年生まれ)は、そう振り返っている。高橋さんは学生時代は新左翼党派の活動家でもあったが、〈秋の嵐〉では「音楽という表現を担う者としての闘いと、その可能性」を見いだそうとしていた。少なくとも当時の自粛ムードの中では「街頭でデカい音を出す」という表現自体にプロテストの要素が含まれていた。
高橋さんは1989年1月15日、ホコ天の路上で逮捕されている。容疑は「軽犯罪法違反」。路上ライブを行った代々木公園内の歩道橋の橋脚に「さよならヒロヒト」と書かれた横断幕を粘着テープで貼り付けた、というのが「犯罪」とされた(のち起訴猶予処分)。このときの模様は、今回の映画の中でも克明に記録されている。
サングラスや帽子で顔を隠した私服刑事や制服警官が何人も高橋さんの体を押さえつけて引きずり、警察車両へ乗せられることを拒もうとする高橋さんの頭を私服刑事が強引につかんでねじこんでいる。〈秋の嵐〉のメンバーだけでなく、居合わせたほかのバンドや見物客など数百人がこの逮捕劇を取り囲み、ホコ天は騒然となる。
〈秋の嵐〉に初めての逮捕者が出たのは、その前週、1989年1月8日。昭和天皇が亡くなった翌日だった。代々木公園内から歩道上を歩いて明治神宮に向かい、原宿駅前で天皇制に反対するコールをあげようとしたところに警官隊がとびかかり、東京都公安条例違反、公務執行妨害などで5人が逮捕される。この場面も映画に記録されている。
トランジスタメガホンをもったメンバーに向かって複数の警官が、突然後ろからタックル。その直前には、制服警官と私服刑事が「段取り」を確認するようにささやき合うシーンも映っていた。
高橋さんを含むこれらの被逮捕者は、のちに不当逮捕であったという国家賠償請求訴訟を起こし、1997年11月、原告の全面勝訴が確定している。判決は「逮捕は違法」とまで言い切り、警察の強引な手法が断罪された。裁判の中では被告の東京都は「逮捕は適正に執行された」と主張、証人に立った警察官も詳細に「適正な執行」の経過を証言していたのだが、証拠として提出されたビデオが採用されそれらがことごとく否定されたのである。さらに別の日には私服警官が〈秋の嵐〉のメンバーに向かって後ろから膝蹴りする場面も撮影されており、これも国賠訴訟で警察の「違法」が認定されている。
「違法逮捕」の決定的場面を撮影されていた警察は、やや奇妙にも思えるが、撮影者に対して
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