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『いだてん』は五輪に負けた 開催契約解除への道

オリンピックは「やり方」ではなく、「やること」が間違っている

小笠原博毅 神戸大学大学院国際文化学研究科教授

大河ドラマの王道を行った『いだてん』

 『いだてん』が終了した、王道の大河ドラマとして。複雑なストーリー構成、そこかしこに張り巡らされていた伏線、役者の過剰な演技、大河のようなゆったりとした流れに慣れていた、そしてそれを期待していた人からみれば、いろいろな批判や非難や揚げ足取りをしたいのだろうが、『いだてん』はこれまでのNHK大河ドラマをしっかりと踏襲していた。

ドラマ後半の主役、田畑政治を演じた阿部サダヲ(中央)と、河野一郎役の桐谷健太(右)、緒方竹虎役のリリー・フランキー(左)

 大河ドラマでは、まず役者が本気で素晴らしい演技をする。脚本が面白く、ちゃんとした役者がちゃんとした演技をすればそれはいいドラマになる。演技が過剰かどうかなど、その「ちゃんと」の基準次第でどうにでも評価できることだ。

 もはや今後、嘉納治五郎について考えるときは役所広司の顔が浮かぶだろうし、五りん(神木隆之介)の少し浮きがちな芝居も、小泉今日子ら芸達者がしっかり脇を固めていたと思う。川島正次郎(浅野忠信)に五輪運営の主導権を奪われた田畑政治(阿部サダヲ)は、「オレはどこで間違えた」と過去を振り返る。そして、かつて高橋是清(萩原健一)の眼前で「政治がスポーツを利用すればいい」と口にしてしまったことを思い出す。

 その時の阿部のハッとした表情とショーケンの乾いた笑い方には、思わず鳥肌が立った。狂言回し役の晩年の志ん生がビートたけしというのだけ最後まで違和感を拭えなかったが、病室で仮病がバレてしまう件は、たけしならではのボケが効いていたのだろう。

 しかし一方で、大河ドラマはやはり男子の物語になってしまうという点が物足りなかった。『草燃える』、『おんな太閤記』、『花の乱』、『春日局』、『八重の桜』、あとは忘れてしまったが、これらの数少ない例外を除いて、大河は結局ほぼ男たちの物語で占められてきた。

 金栗四三(中村勘九郎)や田畑政治を始め、主要人物の妻や母たちはやはり、物言うとはいえ夫を支え続ける妻や、小うるさいが愛情あふれる母の役割を果たす、重要だがあくまでも脇の役に落ち着いていた。

 女子体育の礎を築いた二階堂トクヨ(寺島しのぶ)、金栗の生徒村田富江(黒島結菜)、シマちゃん先生(杉咲花)、「東洋の魔女」川西昌枝(安藤サクラ)をはじめ、全体の役の半数近くを女性が占めていたにもかかわらず、鬼の大松(徳井義実)最後のセリフは、「お前ら嫁にいけ」だった。

 決定的なのは、数多い女性の中でも最も光る演技を見せていた人見絹枝(菅原小春)が、最終回の回想シーンで現れなかったことだ。アムステルダムでの人見絹枝を見せずして、なにが『いだてん』か?

 そして大河ドラマは、登場人物や出来事を虚実取り混ぜ、主人公にありえないものを「期待」させることで、現代の世界とは切り離された歴史物語を作り上げる。

 戦国から安土桃山時代なら「戦乱の世を終わらせる天下統一」や「民のための平和な世」、幕末なら「身分のない自由な世界」や「世界に追いつく日本」。若者の成長や人間模様の背後には、このような大きな物語が用意されているのが大河の常道だ。

 ポイントは、主人公たちが求めていたものが、本当にそういうものなのかどうかには頓着せず、そのとおりには実現できないものでもあるにも関わらずそういうものとして、いわばすでに視聴者がイメージしやすい「なんとなく」常識化された路線に軌道を合わせていくような物語進行になってゆくということである。

 フィクション・ドラマなんだから当たり前ではある。歴史考証は必要だが、歴史に忠実である必要はない。そもそも歴史に忠実であるとはどういうことか? 新たな史料の発見や解釈によって、またはシュレッターの力を借りて公文書を処分することのできる時代の強者の都合によって、歴史は常に書き換えられる。

 『いだてん』の場合それは、国際政治や商業化からできるだけ距離を取る「スポーツの祭典」だった。人種や民族の垣根を超える「友情と平和の祭典」。しかし金栗や田畑が『いだてん』の中で求めた五輪は、現代世界においてもはや存在しない。もはやありえない、現代となんのつながりもない、時間を止められた歴史の話として、『いだてん』は立派な大河ドラマだったのだ。

「敗者」の物語か?「期待」の物語か?

 放映期間中いわゆる「リベラル」な人たちの『いだてん』評として顕著だったのは、それが挫折や敗北を描いているという指摘だった。

 確かに金栗は、期待されて走れば負け。田畑も引っ掻き回すだけ回して周囲の人間を巻き込み、多くの挫折を経験する。

アントワープ五輪大会でマラソンのスタート地点に立つ金栗四三(中央左寄り、日の丸をつけ足袋を履いた選手)=1920年8月

 しかし片やしっかり五輪に出場し、「行方不明」になってゴールできなかったからといって、何十年も後に招待されて再びストックホルムに戻って走りきった金栗は「敗者」だろうか? 朝日新聞という巨大メディアに雇用され、政治家とも対等に渡り得た田畑は「敗者」だろうか?

 山口昌男によれば、「敗者」とは「勝者と異なって、自然・文化・人間に対して、もう一つの視点をかたちづくっていくというところになるはず」(山口昌男『敗者の精神史 下』岩波現代文庫、p.385)であり、「敗者の視点」は「公的世界のヒエラルヒーを避け」ているので、「公的日本の側からは見えない人たち」(同書、p.466)でなければならない。金栗も田畑も、しっかり「公的」歴史に名を残しているではないか。

 そして、まさに「公的」な五輪の理念を真に受けて、その歪みを正し、理想的な形で東京で開催するために身を粉にして働いた、その姿が描かれている。彼らは五輪ではない「もう一つの視点をかたちづく」るのではなく、五輪に「期待」したのだ。

 大国の思惑や、自国の政治都合や、ヨーロッパ中心の白人主義に対峙して、そうではない「本来の」五輪を作ろうとした。最終回で、1964年10月10日がザンビアの独立した日であるということをことさら強調したのも、「本来の」五輪の輪郭を少しでも浮き立たせたかったからだろう。

 ともあれ『いだてん』は、「人間讃歌の祭典」としてのクーベルタンの理想は崇高なままなのだ、要は運用の問題なのだ、という見解を踏襲していた。

 しかしそもそも五輪は、嘉納治五郎がムキになって主張したような、また田畑が半分ヤケ気味にではあれ思い描いていたような、フェアプレイとアマチュア主義に則るスポーツの崇高な理想形として発案されたわけではない。

 近代五輪の発案者クーベルタン男爵の目に映っていたのは、イギリスやプロイセンなど隣国との戦争や、植民地獲得競争で成果を挙げられない弱々しいフランス軍だった。スポーツは、良き軍人として青年の精神と肉体を鍛え直すための手段だったのだ。その内実を隠す建前としてクーベルタンは、ヨーロッパのキリスト教国を巻き込み、古代ギリシャの宗教儀礼を近代に「復活」させようとしたのである。

 また「リベラル」な人たちは、戦争批判、国家主義批判、日本の植民地主義批判が『いだてん』の随所に散りばめられていたことを評価する。例えば、戦後初めてアジア大会に参加する水泳選手団を率いてフィリピンに渡った田畑は、マニラ市街で一人の少年から「人殺し!」と罵倒される。その後田畑は言う。

 「アジア各地でひどいこと、むごいことしてきた俺たち日本人は、おもしろいことやらなきゃいけないんだよ!」

 なぜそれが五輪でなければならないのか? もちろん説明は

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