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『いだてん』は五輪に負けた 開催契約解除への道

オリンピックは「やり方」ではなく、「やること」が間違っている

小笠原博毅 神戸大学大学院国際文化学研究科教授

「敗者」の物語か?「期待」の物語か?

 放映期間中いわゆる「リベラル」な人たちの『いだてん』評として顕著だったのは、それが挫折や敗北を描いているという指摘だった。

 確かに金栗は、期待されて走れば負け。田畑も引っ掻き回すだけ回して周囲の人間を巻き込み、多くの挫折を経験する。

拡大アントワープ五輪大会でマラソンのスタート地点に立つ金栗四三(中央左寄り、日の丸をつけ足袋を履いた選手)=1920年8月

 しかし片やしっかり五輪に出場し、「行方不明」になってゴールできなかったからといって、何十年も後に招待されて再びストックホルムに戻って走りきった金栗は「敗者」だろうか? 朝日新聞という巨大メディアに雇用され、政治家とも対等に渡り得た田畑は「敗者」だろうか?

 山口昌男によれば、「敗者」とは「勝者と異なって、自然・文化・人間に対して、もう一つの視点をかたちづくっていくというところになるはず」(山口昌男『敗者の精神史 下』岩波現代文庫、p.385)であり、「敗者の視点」は「公的世界のヒエラルヒーを避け」ているので、「公的日本の側からは見えない人たち」(同書、p.466)でなければならない。金栗も田畑も、しっかり「公的」歴史に名を残しているではないか。

 そして、まさに「公的」な五輪の理念を真に受けて、その歪みを正し、理想的な形で東京で開催するために身を粉にして働いた、その姿が描かれている。彼らは五輪ではない「もう一つの視点をかたちづく」るのではなく、五輪に「期待」したのだ。

 大国の思惑や、自国の政治都合や、ヨーロッパ中心の白人主義に対峙して、そうではない「本来の」五輪を作ろうとした。最終回で、1964年10月10日がザンビアの独立した日であるということをことさら強調したのも、「本来の」五輪の輪郭を少しでも浮き立たせたかったからだろう。

 ともあれ『いだてん』は、「人間讃歌の祭典」としてのクーベルタンの理想は崇高なままなのだ、要は運用の問題なのだ、という見解を踏襲していた。

 しかしそもそも五輪は、嘉納治五郎がムキになって主張したような、また田畑が半分ヤケ気味にではあれ思い描いていたような、フェアプレイとアマチュア主義に則るスポーツの崇高な理想形として発案されたわけではない。

 近代五輪の発案者クーベルタン男爵の目に映っていたのは、イギリスやプロイセンなど隣国との戦争や、植民地獲得競争で成果を挙げられない弱々しいフランス軍だった。スポーツは、良き軍人として青年の精神と肉体を鍛え直すための手段だったのだ。その内実を隠す建前としてクーベルタンは、ヨーロッパのキリスト教国を巻き込み、古代ギリシャの宗教儀礼を近代に「復活」させようとしたのである。

 また「リベラル」な人たちは、戦争批判、国家主義批判、日本の植民地主義批判が『いだてん』の随所に散りばめられていたことを評価する。例えば、戦後初めてアジア大会に参加する水泳選手団を率いてフィリピンに渡った田畑は、マニラ市街で一人の少年から「人殺し!」と罵倒される。その後田畑は言う。

 「アジア各地でひどいこと、むごいことしてきた俺たち日本人は、おもしろいことやらなきゃいけないんだよ!」

 なぜそれが五輪でなければならないのか? もちろん説明は

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筆者

小笠原博毅

小笠原博毅(おがさわら・ひろき) 神戸大学大学院国際文化学研究科教授

1968年東京生まれ。専門はカルチュラル・スタディーズ。著書に『真実を語れ、そのまったき複雑性においてースチュアート・ホールの思考』、『セルティック・ファンダムーグラスゴーにおけるサッカー文化と人種』など。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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