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寅さんは今も変わらず日本のどこかを旅している

50作目の新作『男はつらいよ お帰り 寅さん』

薄雲鈴代 ライター

 今年の正月は、久々に寅さん映画が劇場にかかる。

 正月映画に看板が張れることこそ、役者冥利に尽きると、以前、俳優の松方弘樹さんにうかがったことがある。東映の正月映画で初の主役を演(や)るというその時に、嬉しそうに、そして誇らしげに語られていた。そのときも、松竹映画のほうには、渥美清主演の『男はつらいよ 寅次郎の告白』が、向こうを張ってかかっていた。

昔を懐かしむだけの映画ではない

「くるまや」のセットで(左から)倍賞千恵子さん、前田吟さん、浅丘ルリ子さん、山田洋次監督、夏木マリさん、後藤久美子さん、吉岡秀隆さん

 寅さん映画は、正月のお約束で、あまりにも〝正月にあって当たり前〟になっていた。しかしそれも、主演の渥美清さんが亡くなる平成8年(1996)までのことで、渥美清さんとともに、寅さんも遠くに旅立っていった。それが令和はじめの、この正月に『男はつらいよ お帰り 寅さん』が封切として上映されている。寅さん映画50周年、50本目の記念ということである。

 寅さんが旅立ってから23年が経ち、妹のさくら(倍賞千恵子)と、その旦那博(前田吟)は老夫婦になっていて、寺男の源公(佐藤蛾次郎)をはじめ、今なお変わらずに柴又で暮らしている人々は、当然ながら皆、年を重ねていた。「くるまや」の茶の間での会話は、物忘れがひどい、身体がいうことをきかないといった、高齢者の〝あるあるソレある嘆き節〟で、年は取りたくないねぇ~という愚痴が口を吐く。

 しかし、そこに寅さんの姿はない。

 寅さんの不在が気になって、くるまやの仏壇がチラッと映ったときに目を凝らして見たが、そこにおいちゃん(下條正巳)とおばちゃん(三崎千恵子)の遺影はあるが、寅さんはいない。つまり、寅さんは今も変わらずどこかに旅に出ているのだと、見て取れた。

 映画の中で寅さんは、いまだ旅の道程、日本のどこかにいてくれていると知った途端に、ホッとしてわけもなく嬉しくなった。

 寅さんは留守であっても、それにしても事あるごとに、誰かの思い出の中に登場する人である。戴き物のメロンを見ると、寅さんの大立ち回りを思い出し、柴又の駅のホームに立つと、「達者でな」と旅立つ寅さんのせつない表情が心に映る。さくらの胸中にも、博の会話の中にも、甥の満男の眼差しにも、寅さんがつねに居る。

 不在であっても、その存在を心の傍らに感じるというのは、なんと強烈な人なのだと畏れ入る。そして折々、その人のことを思い出しては笑って語れるということが、寅さんにとっても、家族にとっても、なんてしあわせなことなんだろうと、この度の寅さん映画を観てつくづく思ったことだ。

 いまや『男はつらいよ』を知らない世代も多いが、けっして昔を懐かしむだけの映画ではない。

 第一作封切の昭和44年(1969)当時は、東大安田講堂攻防戦からつづく全共闘運動がピークであった。世の矛盾に対峙した学生たちは、寅さんの権威を屁とも思っていない、何事にも囚われない自由奔放な姿に苦笑しながらも憧れた。寅さんの理屈を超えた情の厚さに、人として大切なものを教えられていた。そして、渥美清が唄う主題歌を、いつの間にか口ずさんでいた(世間はフォーク全盛期で、寅さんの第1作が公開された同じ8月には、岐阜県中津川では第1回目のフォークジャンボリーが開催されていて、岡林信康や高田渡がプロテストソングを歌っていた頃である)。

 その時分に ♪奮闘~努力の甲斐もなく、今日も涙の~今日も涙の陽が落ちる、陽が~落ちる~♪ という、寅さん節である。

中学生以下、映画観賞料金100円の意味

 単なる喜劇ではなく、建前を揶揄し権力に抗う、それが寅さん映画の根っこにある。それは50作目の今作にもうかがえた。

 

映画「男はつらいよ お帰り 寅さん」のポスター©2019松竹株式会社
この映画は、松竹系劇場では中学生以下は100円で観られるようになっている。寅さん映画をまったく知らない子どもたちに対して設けられた料金である。ところが、子どもだけでこの映画を観ても、寅さんがどういう人なのか、なにがおもしろいのか、ピンとこない内容である。つまり、寅さん映画を知っているお祖父さんやお祖母さん、家族で一緒に観て、大人に解説をしてもらって初めて、若い人にも味わえる映画なのだ。

 ここに、寅さんを介しての山田洋次監督らしい現代へのアンチテーゼが
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