50作目の新作『男はつらいよ お帰り 寅さん』
2020年01月05日
今年の正月は、久々に寅さん映画が劇場にかかる。
正月映画に看板が張れることこそ、役者冥利に尽きると、以前、俳優の松方弘樹さんにうかがったことがある。東映の正月映画で初の主役を演(や)るというその時に、嬉しそうに、そして誇らしげに語られていた。そのときも、松竹映画のほうには、渥美清主演の『男はつらいよ 寅次郎の告白』が、向こうを張ってかかっていた。
寅さん映画は、正月のお約束で、あまりにも〝正月にあって当たり前〟になっていた。しかしそれも、主演の渥美清さんが亡くなる平成8年(1996)までのことで、渥美清さんとともに、寅さんも遠くに旅立っていった。それが令和はじめの、この正月に『男はつらいよ お帰り 寅さん』が封切として上映されている。寅さん映画50周年、50本目の記念ということである。
寅さんが旅立ってから23年が経ち、妹のさくら(倍賞千恵子)と、その旦那博(前田吟)は老夫婦になっていて、寺男の源公(佐藤蛾次郎)をはじめ、今なお変わらずに柴又で暮らしている人々は、当然ながら皆、年を重ねていた。「くるまや」の茶の間での会話は、物忘れがひどい、身体がいうことをきかないといった、高齢者の〝あるあるソレある嘆き節〟で、年は取りたくないねぇ~という愚痴が口を吐く。
しかし、そこに寅さんの姿はない。
寅さんの不在が気になって、くるまやの仏壇がチラッと映ったときに目を凝らして見たが、そこにおいちゃん(下條正巳)とおばちゃん(三崎千恵子)の遺影はあるが、寅さんはいない。つまり、寅さんは今も変わらずどこかに旅に出ているのだと、見て取れた。
映画の中で寅さんは、いまだ旅の道程、日本のどこかにいてくれていると知った途端に、ホッとしてわけもなく嬉しくなった。
寅さんは留守であっても、それにしても事あるごとに、誰かの思い出の中に登場する人である。戴き物のメロンを見ると、寅さんの大立ち回りを思い出し、柴又の駅のホームに立つと、「達者でな」と旅立つ寅さんのせつない表情が心に映る。さくらの胸中にも、博の会話の中にも、甥の満男の眼差しにも、寅さんがつねに居る。
不在であっても、その存在を心の傍らに感じるというのは、なんと強烈な人なのだと畏れ入る。そして折々、その人のことを思い出しては笑って語れるということが、寅さんにとっても、家族にとっても、なんてしあわせなことなんだろうと、この度の寅さん映画を観てつくづく思ったことだ。
いまや『男はつらいよ』を知らない世代も多いが、けっして昔を懐かしむだけの映画ではない。
第一作封切の昭和44年(1969)当時は、東大安田講堂攻防戦からつづく全共闘運動がピークであった。世の矛盾に対峙した学生たちは、寅さんの権威を屁とも思っていない、何事にも囚われない自由奔放な姿に苦笑しながらも憧れた。寅さんの理屈を超えた情の厚さに、人として大切なものを教えられていた。そして、渥美清が唄う主題歌を、いつの間にか口ずさんでいた(世間はフォーク全盛期で、寅さんの第1作が公開された同じ8月には、岐阜県中津川では第1回目のフォークジャンボリーが開催されていて、岡林信康や高田渡がプロテストソングを歌っていた頃である)。
その時分に ♪奮闘~努力の甲斐もなく、今日も涙の~今日も涙の陽が落ちる、陽が~落ちる~♪ という、寅さん節である。
単なる喜劇ではなく、建前を揶揄し権力に抗う、それが寅さん映画の根っこにある。それは50作目の今作にもうかがえた。
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