人生100年時代の旅の愉しみ【2】群馬の納豆、生ハム、チーズ、焼きまんじゅう
2020年02月29日
先月の朝日新聞に「納豆1日1パック 死亡リスク10%減」(朝日新聞デジタル1月30日)という記事がでていた。納豆やみそなど発酵性大豆を原料とした食品をたくさん食べる人は、そううでない人と比較して死亡率が10%低くなるということが、国立がん研究センターの調査で判明したと伝えている。巷間言われる、「納豆や味噌は体にいいんだってね」ということが、科学的な調査によって証明されたと言えるだろう。
日本各地には大豆を原料としたもののほかにも、様々な材料を使った発酵食品がある。旅先でそうした食べ物に出合うと、美味しくて体にいいからという理由だけでなく、風土と伝統に培われた逸品だけに、一口含むと無言のうちに訪れた土地の個性が伝わってくるような気分になる。
今回の「人生100年時代の旅の愉しみ」では、そんな気分にさせられた各地で出会った発酵食品と場所を幾つか紹介しよう。まずは群馬県から――。
2月の群馬県は、この時期の“名物”の空っ風が、赤城山から広い関東平野に向けて吹き抜けていく。その赤城山のふもとにある群馬県の県都前橋市は発酵食品のまちでもある。
意外と知られていないが、前橋市は2017年にスローシティ国際連盟に加盟した。地域の食や農産物、生活・文化、自然、多様性などを尊重する新しい町づくりを目指しており、多種にわたる発酵食品はこの町にふさわしい観光資源とも言える。
前橋市の郊外、赤城山南麓は、昔から大豆や小麦作り、それに養蚕が盛んな土地柄であり、製糸業が衰退した後は、養豚、酪農などに引き継がれていった。農水省の「作物統計」によれば前橋市の2015年の小麦の収穫量は5550トン、大豆90トン。共に県内第1位を占め、農業生産が豊かな土地柄であることを示している。
そうした農業の基盤があったうえで、発酵を活用した食品作りが広まっていったのではないかと推測されている。
山麓近くには納豆工場があり、生ハムの工房があり、チーズを製造する牧場がある。市内中心部には、群馬県人なら誰もが子供のころから食べている郷土の味、焼きまんじゅうの老舗もある。
いずれも発酵の力を利用して作られる食べ物であり、前橋の味でもある。代々受け継がれた味から、近年取り組んで生まれたものまでバリエーションに富んでいるのも、前橋の発酵食品の特色になっている。
前橋のまちは、県都でありながら自然が豊か。JR両毛線の前橋駅から県庁近くまでは、ケヤキの並木が約1.5キロ続き、今は葉を落としているが、春の新緑や夏の緑陰にはなかなかの風情を見せる。
都会地において、こうして長い並木道が続くところは残念ながら日本では少なく、この道を歩くたびに、「前橋に来た」という実感を強くする。
その先には、利根川から引いた用水である広瀬川が勢いよく流れる。川辺近くには前橋が生んだ詩人・萩原朔太郎の記念館や前橋文学館などが立ち、周囲に枝を広げる木々と共に、“水と緑と詩のまち 前橋”を彷彿とさせる情景が続く。
朝日新聞で紹介された納豆の話から始めよう。
そのお店は、赤城山頂近くに広がる小沼を源とする粕川(かすかわ)沿いにある粕川中学校の近くにある、「粕川なっとう」である。自ら納豆職人と名乗る同店の松村徳崇専務(37)によれば、「うちはもともと兼業農家で、父が大豆とお米を作っていますが、収穫した大豆を使っておいしい納豆を食べたいという素朴な理由から始まったんです」という。
もともとは好きな納豆を、納得いく味で食べたいという欲求から、いい大豆を育て、これを大型冷蔵庫を改造した手製の室(むろ)に入れて熟成させ、自分で楽しんでいたが、その評判が広がり、平成24年から一般に販売を始めた。
「おいしい納豆はまず、原料となる大豆で決まります。赤城山麓は昔から大豆栽培が盛んで、山系の伏流水も豊かですからいい大豆が育ちます。これをすぐそばの工場で加工する。これが次のポイントですが、収穫した場所と加工するところが近いほど豆は鮮度がよく、傷つきにくく、味の劣化も防げます。恐らく、自家製の大豆を使って納豆を作るのは全国でもうちだけでしょう」と松村専務。
豆は傷がつかぬよう手でていねいに洗い、桶に張った水で12時間から24時間、何度か水を替えて浸漬させる。夏は短く、冬は長く漬ける。「豆の状態に合わせて豆の味を引き出させる」ためという。次に豆を蒸し、冷ました後に納豆菌を上から掛けて発酵室に18時間入れ、上昇した熱を下げて再度12時間ほど発酵、熟成させて仕上げる。発酵室に入れて約30時間。ようやく納豆が完成するわけだが、それは発酵の力を最大限引き出す作業でもある。
これだけの時間と手間をかけるだけに、値段は決して安くはない。赤松の経木に包まれた粕川納豆が二つ(一つ80グラム)で350円、一般的な納豆が二つ(一つ40グラム)入りで198円なので倍近くするが、これが納豆好きに受けている。原材料の栽培から製品加工まで作り手が納得いく仕方で作る。それが味にあらわれる。
だからこそ、買い手もこの値段に納得するのだろう。
「新聞記事が出たことで、納豆の価値が再認識されたのではないかなと思っています」と松村さんは顔をほころばす。
市内の中心部から赤城山を目指して車を進めると、およそ15分で三夜沢赤城神社への道に入る。ここは車が行き来する一般道だが、そこから一歩奥へ入ると神社の参道が延びている。道に沿っては3.2キロにわたり松並木が続き、その間を埋めるようにヤマツツジの群落が続く。
松は樹齢が400年前後のアカマツやクロマツが多く、ヤマツツジはおよそ4000株が4、5メートルの高さで枝を広げ、毎年4月下旬から5月中旬にかけて、一帯を朱色に染めるように咲きそろう。松の緑とツツジの朱色が、華やかな中に落ち着いた風情を見せ、森閑としたたたずまいと共に、赤城山をご神体として崇めた古代の人達の思いが伝わってくるようだ。
その参道の中ほどに、ハムやソーセージなどの工房とレストランを経営する「とんとん広場」がある。
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