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高知発祥の「よさこい」はなぜ、全国に広がったのか?

「YOSAKOIソーラン祭り」を契機に四国限定の踊りが全国版になった平成の30年

川竹大輔 高知大学地域連携課専門員(地域人材育成担当)兼理事特別補佐

参加型の進化する祭り

 それにしても、高知発祥の地方の祭りであったよさこいはなぜ、全国200か所以上で行われる全国的な祭りになったのだろうか。

 背景のひとつは、昭和29年(1954年)という戦後生まれのイベント祭りであった高知のよさこい祭りで、よさこい鳴子踊りを作り上げた武政英策氏(ペギー葉山が歌った「南国土佐を後にして」を作詞・作曲)の考えを反映し、参加型の進化する祭りとして、楽曲や振り付け、衣装といった祭りの基本的なスタイルを変更することを、高知の人々が受け入れたことだ。

拡大よさこい祭り初期の衣装や写真=2019年9月3日、高知市はりまや町1丁目、湯川うらら撮影
 「郷土芸能は民衆の心の躍動である。誰の誰べえが作ったかわからないものが、忘れられたり、まちがったりしながら、しだいに角がとれてシンプル化していくものである。要は、民衆の心に受け入れられるかどうかが問題で、よさこい鳴子踊りにしても、時代や人によって変わってきたし、これからどんなに変わっていってもかまわないと思っている」

 武政氏が『よさこい祭り20年史』(よさこい祭り振興会、1973年)の中で、よさこいの進化を肯定的に語っていることばが興味深い。よさこい鳴子踊りの生みの親自身が、著作権をオープンにして自由なアレンジを認めことによって、多くの人々が自由なよさこい鳴子踊りを創造したということだろう。

 伝統的とされる地域の祭りでは、ともすると「伝統こそが正統だ」と主張されがちなのと対照的に、高知では独自のプロセスを踏みながら、盆踊り的なスタイルのよさこい鳴子踊りが、1970年代から1980年代にかけて加速度的に現代風にアレンジされたものに変化をしていった。

YOSAKOIソーラン祭りの強烈なインパクト

 平成4年(1992年)に北海道で始まったYOSAKOIソーラン祭り(最初はよさこいソーラン祭りと名乗っていた)は、カリスマ的な創始者である長谷川岳氏(現、参議院議員)とその周辺との奇跡的ともいえる出会いがなければ、実現しなかった。

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筆者

川竹大輔

川竹大輔(かわたけ・だいすけ) 高知大学地域連携課専門員(地域人材育成担当)兼理事特別補佐

昭和44年(1969年)生まれ、高知市育ち。東京大学教養学部(文化人類学)卒業。朝日新聞記者、三重県津市議会議員を経て、平成12年(2000年)から橋本大二郎高知県知事の特別職秘書、安芸市助役、NPO役員などを務める。令和2年(2020年)から高知大学地域連携課専門員(地域人材育成担当)兼理事特別補佐。著書に『唐人踊り読本』『2116票の重み 唐人市議の4年間』『いなか地デジ化ものがたり』『改革派知事の時代?地方から日本は変わったのか?』

※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです