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新型コロナで一斉休校。翻弄される現場と新しい「学びのかたち」

現場との連携なしで実施された「政治的実験」は教育のICT化を進める契機になる?

鈴村裕輔 名城大学外国語学部准教授

拡大一斉休校で授業がなくなり、開放された体育館で自習する児童ら=2020年3月2日、愛知県豊明市の市立栄小学校

 来年の今頃には、「そういえば、そんなこともあったな…」と笑い話となっていればいいのだが、感染が日本国内にじわじわと広がり、治療薬も開発されていない現状では、新型コロナウイルスの感染の拡大を抑止するため、万全を期すことは当然だ。ウイルスは人間の意図や思惑などお構いなしに感染していくことを考えれば、迅速な対処が不可欠となる。

 しかし、現在の政府の新型コロナウイルス対策はどうだろう。錯綜(さくそう)の観を呈してはいないか。

 たとえば、厚生労働省が「新型コロナウイルス感染症対策の基本方針」で「イベント等の開催について、現時点で全国一律の自粛要請を行うものではない」とした翌日、安倍晋三首相が「多数の方が集まるような全国的なスポーツ、文化イベント等」の中止や延期を要請したことなどは、状況の変化に応じた対策ではあるものの、一貫性のなさを露呈したのと言える。

 2月27日の夜に安倍首相が要請した「全国の小中学校の一斉休校」もまた、具体的な対応策が追加的に公表されるなど、関係部局と事前に協議を行ったうえでの、一貫性のある判断ではなかった様子がありありだ。

「一斉休校」に意味はある。だが……

 急を要する事態では、前例にとらわれずに対応することは必要だし、対応策を慎重に検討している間に、効果的な取り組みを行う時期を逸しては本末転倒となる。とはいえ、現場の実情を適切に把握して対応策を決めなければ、どれほど機動的に対応しても、効果が上がるはずもない。「一斉休校」の要請の場合はどうだったか。

 あらかじめ断っておくが、筆者は休校措置そのものについては反対ではない。なぜなら、2009年のメキシコにおける新型インフルエンザ対策を例に、都市や学校の閉鎖がインフルエンザのパンデミックの緩和に役立った可能性を示唆する研究などが示すように、学校の閉鎖は公衆衛生学上も適切な処置のひとつと考えられるからだ。

 だが、その一方で、今回の「一斉休校」の要請が、幾つかの問題を含むのも明らかだ。


筆者

鈴村裕輔

鈴村裕輔(すずむら・ゆうすけ) 名城大学外国語学部准教授

1976年、東京生まれ。名城大学外国語学部准教授、法政大学国際日本学研究所客員所員。法政大学大学院国際日本学インスティテュート政治学研究科政治学専攻博士課程修了・博士(学術)。専門は比較文化。主著に『メジャーリーガーが使いきれないほどの給料をもらえるのはなぜか?』(アスペクト 2008年)、『MLBが付けた日本人選手の値段』(講談社 2005年)がある。日刊ゲンダイで「メジャーリーグ通信」、大修館書店発行『体育科教育』で「スポーツの今を知るために」を連載中。野球文化學會会長、アメリカ野球愛好会副代表、アメリカ野球学会会員。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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