現場との連携なしで実施された「政治的実験」は教育のICT化を進める契機になる?
2020年03月10日
来年の今頃には、「そういえば、そんなこともあったな…」と笑い話となっていればいいのだが、感染が日本国内にじわじわと広がり、治療薬も開発されていない現状では、新型コロナウイルスの感染の拡大を抑止するため、万全を期すことは当然だ。ウイルスは人間の意図や思惑などお構いなしに感染していくことを考えれば、迅速な対処が不可欠となる。
しかし、現在の政府の新型コロナウイルス対策はどうだろう。錯綜(さくそう)の観を呈してはいないか。
たとえば、厚生労働省が「新型コロナウイルス感染症対策の基本方針」で「イベント等の開催について、現時点で全国一律の自粛要請を行うものではない」とした翌日、安倍晋三首相が「多数の方が集まるような全国的なスポーツ、文化イベント等」の中止や延期を要請したことなどは、状況の変化に応じた対策ではあるものの、一貫性のなさを露呈したのと言える。
2月27日の夜に安倍首相が要請した「全国の小中学校の一斉休校」もまた、具体的な対応策が追加的に公表されるなど、関係部局と事前に協議を行ったうえでの、一貫性のある判断ではなかった様子がありありだ。
急を要する事態では、前例にとらわれずに対応することは必要だし、対応策を慎重に検討している間に、効果的な取り組みを行う時期を逸しては本末転倒となる。とはいえ、現場の実情を適切に把握して対応策を決めなければ、どれほど機動的に対応しても、効果が上がるはずもない。「一斉休校」の要請の場合はどうだったか。
あらかじめ断っておくが、筆者は休校措置そのものについては反対ではない。なぜなら、2009年のメキシコにおける新型インフルエンザ対策を例に、都市や学校の閉鎖がインフルエンザのパンデミックの緩和に役立った可能性を示唆する研究などが示すように、学校の閉鎖は公衆衛生学上も適切な処置のひとつと考えられるからだ。
だが、その一方で、今回の「一斉休校」の要請が、幾つかの問題を含むのも明らかだ。
春休み直前であるとはいえ、想定していなかった時期に児童や生徒が自宅にいることが保護者の負担を増やすこと、給食の休止によって牛乳などの需要が急減したり、食材が余ったりすることは、容易に想定される事態である。
ことほどさように、事態の緊急性を踏まえた対応だったとはいえ、「一斉休校」が社会に与える影響は実に大きい。なにより深刻なのは、教育現場の実情がいとも簡単に軽んじられたということだ。今回の「一斉休校」要請は、感染拡大を防ぐための方法としては適切であるとしても、より効果的に実施するために適切な方法をとるという視点が欠けていたと言えるだろう。
今回の決定にあたり、文部科学省と都道府県の教育委員会などの連携がいかに緊密でなかったかは、以下の東京都の事例からも明白だ。
東京都教育委員会は2月26日、都立学校長と学校経営支援センター長宛に「新型コロナウイルス感染症に関する学校における対応について(通知)」を出している。小池百合子都知事の意向を受けて策定された通知では、卒業式の規模縮小や年度末までに学校で実施する展覧会や演奏会、社会科見学などの教育活動の延期ないし中止、学年末考査終了から修了式までの間の自宅学習と部活動の禁止などが定められていた。
通知を受けて、多くの学校では27日に対応策を決め、在校生や保護者に通知した。「卒業式は卒業生、関係する在校生及び教職員のみで実施」、「学校行事として行う卒業遠足は中止」、「合唱コンクールは中止」、「修学旅行は中止」といった各校の措置に対する反響は大きかった。
担任から事情を聞いた児童・生徒はともかく、卒業式やその後の送る会で子どもの発表などを楽しみにしていた保護者には、電話や電子メールなどで学校側に翻意を促す人がいたほどだった。
ところが、教職員が苦心して対応策を決め、通知を出した日の夜、首相の「一斉休校」の要請がなされたのである。
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