メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

トイレットペーパーはなぜ消えた?新型コロナ禍で失ったものと本当の闘い

未知の病への恐怖で分断され自分の中の「他者」を失った私達は人間性を回復できるか?

奥田知志 NPO法人抱樸理事長、東八幡キリスト教会牧師

 新型コロナウイルスが世界中に広がりつつある。WHO(世界保健機関)はこの間、このウイルスによる肺炎(COVID-19)の危険性評価を、「高い」から最高の「非常に高い」に修正。3月5日には「パンデミックの脅威は非常に現実的になりつつある」という認識を示した。

 私が暮らしている北九州市でも、3月2日に初めての感染が認められて以降、感染者数は増えている。ただし、そのほとんどは軽症であり、通常の治療で治るとも言われている。一日も早い治療法の確立が待たれる。

コロナ騒動に追い打ちをかける「買いだめ」

 この騒動に追い打ちをかける事態が進行している。「買いだめ」である。

 「マスクとトイレットペーパーは同じ原料で作られているので、今後トイレットペーパーも品切れになる」というデマが流されたことが原因だ。結果、トイレットペーパーもティッシュペーパーも姿を消した。

 トイレットペーパーのメーカー39社でつくる日本家庭紙工業会は、「トイレットペーパーの98%は国内生産であり、中国とは関係がない。在庫は十分あるので買いだめを行わないように」と呼びかけているが、いったん始まったパニックはなかなか収まらない。

トイレットペーパーが売り切れ、空になったドラッグストアの棚=2020年2月28日、東京都世田谷区

不安の中で陥った「自分だけ」の状態

 未知の病の蔓延(まんえん)は、私達に恐怖を植え付けた。テロリストが、恐怖によって人を支配し分断するように、私達は分断された。恐怖は、憎悪を生み、殺し合いへと発展する。さすがに現状では、そんなことは起こっていない。だが、トイレットペーパーが“消えた”一件は、ある意味、「それはすでに始まっている」と私には思えた。

 不安のただなかで、皆が「自分だけ」の状態に陥っている。自分だけ良ければ良い。自分の安心のために、他人の分まで買い占める。私達の中から「他者」がいなくなったのだ。

 私達は自分の中にいた他者を抹殺し、トイレットペーパーを握りしめた。「それはすでに始まっている」と言ったのは、このことを指す。

 新型肺炎の流行を恐れる不安のなかで、多くの人が「自分だけという病」に罹患しつつある。必要以上の買い占めは、その症状である。私たちは今、こう言わねばならない。「無くなったのはトイレットペーパーでありません。私達は自分の中にいたはずの他者を無くしたのです」と。

作家・灰谷健次郎の「人間とは」という問い

「太陽の子」の著者の灰谷健次郎さん
 子どもを扱った作品で知られる小説家、故灰谷健次郎は小説「太陽の子」の中で、登場人物にこのように語らせる。

 「いい人ほど勝手な人間になれないから、つらくて苦しいのや。人間が動物と違うところは、他人の痛みを自分の痛みのように感じてしまうところなんや。ひょっとすれば、いい人というのは、自分の他にどれだけ自分以外の人間が住んでいるかということで決まるのやないやろか」

 灰谷は「いい人」と言うが、別に「いい人」でなくても良い。灰谷が問うたのは、「人間とは」だったのだと思う。

 大切なのは、人と人が出会うということにおいては、「つらくて苦しい」ことが大なり小なり起こるということだ。

・・・ログインして読む
(残り:約2430文字/本文:約3756文字)