映画『三島由紀夫vs.東大全共闘』を見て考えたこと
2020年04月05日
コロナ騒ぎで、しばらく文章を書く気がしなかった。一日に起こる変化が大きすぎて、今日書いたことが次の日にはひっくり返る。こんな状態では、ただ様々に混乱した情報をウォッチするだけになる。落ち着いて状況を見極めてなどいられない。トイレの便器がなくなったとか、建築資材が入らないとか、飛行機が欠航になったとか、パニックが重なって広がる姿を眺めているしかない。
もちろん、自分の仕事にも影響があった。三月中旬に学校で講演することになっていたのだが中止になった。数ヶ月前から計画し、どんな話にしようかと腹案を練り、メモも書いていた。しかし、突然の「一斉休校の要請」で中止になり、それでも「何とか生徒に話を聞かせたい」という希望があったので、急遽VTRを作って見せることになった。慣れないカメラ操作や編集に追われて悪戦苦闘している最中だ。
しかし、今回のパニックは、他面では、若い頃に体験したことがフラッシュバックしてきたようだった。1970年代のオイル・ショックには、洗剤とトイレットペーパーに皆が殺到したが、それをもう一度目撃することになった。空っぽの棚を見ながら、となりの年配の男が「ひどいね」と言う。それを横目で見ている自分も、この人とだいたい同年齢だ。50年前と違って水で洗って温風で乾かす方式のトイレがこれほど普及しているのに、なぜ日本人はトイレットペーパーにこだわるのか、とボンヤリと考えた。
学校では、卒業式が中止になったところも多い。知り合いの勤める大学では、県民ホールで行われるはずだった儀式が中止になり、学生の所属ゼミ室で卒業証書が担当教授から手渡されたとか。「一生の記念の式がこれでは……」と残念がる人もいたようだが、これもまた昔と同じ光景だ。私が大学を卒業したときは、安田講堂は大学紛争の余波で閉鎖中だった。だから、卒業式自体が存在せず、卒業証書は学科の研究室で「はい、これは君のね」と助手から手渡された。儀式が嫌いな身としては気楽で良かった。
ところが、結局私はその授与日さえ忘れており、三年ほど前に「研究室の掃除をしたら、吉岡さんの卒業証書が見つかりました。今更ですが要りますか?」と連絡があった。ありがたく郵送してもらった。だが、その証書が今どこにあるのやら、まったくもって分からない。「忘却の忘却」とでも言おうか。
そういえば、シカゴ大学の学位記もどこに行ったやら。掃除をしたら、卒業式convocation名簿だけは出てきて、自分の名前が掲載されているのは確認したのだが、肝腎の証書がまだ見つからない。スコットランドでもないのにバグパイプが演奏され、中世風の帽子とガウンを身につけて内庭に行進して、学長から恭しく証書を手渡された。何ともキッチュな式だったのだが……こんな風に書き並べてみると、私の生きてきた時代は、何だかけじめがつかない。そこに、今コロナのおかげで逆戻りしつつある。何とも皮肉である。
先日、『三島由紀夫vs.東大全共闘』という映画を見る機会があった。1969年駒場900番教室で、小説家三島由紀夫を呼んで、東大の学生たちが討論をする様子を撮影した映像だ。そのときの記録と、その後の
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