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オリンピックはコロナ後の世界を先取りし祝福する

延期のゴタゴタから見えるIOCの目論見

山本敦久 成城大学社会イノベーション学部教授

 いまIOCと安倍首相は、新型コロナウイルスの世界的蔓延によって引き起こされている人類の危機を新たな政治的資源として活用しようと目論んでいるようだ。全世界の感染者が100万人以上に拡大し(2020年4月3日現在)、人びとが感染のリスクに晒され、死の恐怖に苛まれているこの時期に、五輪は「ポスト・コロナ」時代の新たな祝賀(セレブレーション)を予言的に突き進もうとしている。

 このように考えざるをえない事象が顕在化している。感染拡大の収束までにどれほどの時間が必要なのか、今後どれほどの犠牲が生じるのかもわからないなか、中止ではなく、「延期」を決定したIOCの判断に透かし見えるものがある。それは世界的規模で経験されている「ショック」状態につけ込むことによって、「ポスト・コロナ」の未来における「新しい五輪」を先取りして生み出そうとする動きだ。

「ポスト・コロナ」の五輪

拡大IOCのバッハ会長との電話協議に臨む安倍首相ら=2020年3月24日夜、首相公邸

 政変や戦争、大災害や経済危機といった未曾有の出来事によって社会が混乱し、人びとが不安や恐怖に陥ることで生じる集合的な「ショック」を活用する政治手法を、カナダのジャーナリストであるナオミ・クラインは「ショック・ドクトリン」と呼んでいる。

 いちはやく平穏な暮らしを取り戻したいという人びとの願いにつけ込み、極端な市場原理と結託した国家権力の強化と集中が遂行される事態のことだ。

 「論座」で3月18日に配信された「「コロナ」以前に五輪は中止すべきだった」のなかで神戸大学教授の小笠原博毅は、「五輪という祝祭によって活性化されるはずだったグローバル資本主義が、ウイルスがもたらす惨状に便乗して公的資金(税収)を協賛企業が被る損害の保証補填とすることで生き残る」と論じている。いま五輪はまさに「コロナショック」という「例外状態」に便乗して生き延びようとしているのだ。

 なんらかの都合によって協賛企業による五輪への出資が不可能となった場合、開催国の公的資金(税金)を投入して、そのリスクを引き取ることができる。これこそIOCが生み出した協賛企業を集める魔力である。もちろん、初のケースとなる「延期」による追加経費が従来通りのパターンを踏襲できるとは限らないが。

 いずれにせよ、この仕組みを解き明かしたのは『オリンピック秘史:120年の覇権と利権』(早川書房)の著者であり、五輪の廃絶を訴え続ける政治学者のジュールズ・ボイコフだ。ボイコフは、五輪を「祝賀資本主義」の一形態だと述べる。祝賀ムードというポジティヴな例外状態に便乗して公的資金を吸い上げ、それを巨大企業の利益とするのが祝賀資本主義たる五輪の特質だとボイコフは主張した。そうやって五輪はブランド化してきた。

 確かにボイコフの議論は、2012年のロンドン五輪を批判する場合には一定程度の説得力を持っていたかもしれない。事実ロンドンの選手村は、リーマンショックによって撤退してしまった協賛企業の補填に税金をつぎ込み、国有化したという経緯がある。選手村は、大会後により安い価格で海外の不動産に売却された。つまり、税金が他国のグローバル企業に横流しされたということだ。税金の使い道にうるさいロンドン市民であっても、祝賀ムード(ロンドン五輪ではこの浮かれた雰囲気を「フィールグッド(いい気分)」要素と呼び五輪を盛り上げた)によって財布の紐が緩んだとも言える。

 しかし、東京五輪は祝賀資本主義とは異なる性質を持ちはじめている。それは単に祝賀ムードを土壌にして資本主義を促進させるのではない。いまや五輪は、「惨状」を直接的にエネルギー源とする新しい仕組みへと変貌しつつあるのだ。詳しく見ていこう。

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筆者

山本敦久

山本敦久(やまもと・あつひさ) 成城大学社会イノベーション学部教授

1973年長野市生まれ。専攻はスポーツ社会学。著書に『ポスト・スポーツの時代』(岩波書店)、『やっぱりいらない東京オリンピック』(共著、岩波書店)、『出来事から学ぶカルチュラル・スタディーズ』(共著、ナカニシヤ出版)など。