新型コロナ禍の難局克服に権力はどう行使されるべきか
国家による公衆衛生と人権とがぶつかる時に権力は……。カギは透明性確保と説明責任か
徳山喜雄 ジャーナリスト、立正大学教授(ジャーナリズム論、写真論)

緊急事態宣言を出してから2週間経ったことを受け、取材に応じる安倍晋三首相(右)=2020年4月21日午前、首相官邸
新型コロナウイルス対応の特別措置法に基づく緊急事態宣言が全国に拡大した。憲法が保障する自由や権利を制約するもので、国家による公衆衛生と個人の人権とがぶつかり合う事態となった。
コロナ禍の脅威に直面するなか、新聞は多くの専門家や識者の見方を聞き、報道してきた。主なものをたどりながら、非常時の権力行使などについて考えたい。
異なる「正しさ」の衝突のなかで
日経新聞と朝日新聞は、軌を一にするかのように著書『サピエンス全史』や『ホモ・デウス』で人類史を問い直したイスラエルの歴史学者、ユヴァル・ノア・ハラリ氏のインタビュー記事を掲載した。
「今回の危機で、私たちは特に重要な2つの選択に直面している。1つは『全体主義的な監視』と『市民の権限強化』のどちらを選ぶのか。もう1つは『国家主義的な孤立』と『世界の結束』のいずれを選ぶのか、だ」(日経3月31日朝刊)とし、人類がいま、「文明の転換点」に立っていることを示唆した。
さらに、「我々にとって最大の敵はウイルスではない。敵は心の中にある悪魔です。憎しみ、強欲さ、無知。この悪魔に心を乗っ取られると、人々は互いに憎み合い、感染をめぐって外国人や少数者を非難し始める。これを機に金もうけを狙うビジネスがはびこり、無知によってばかげた陰謀論を信じるようになる。これらが最大の危機です」(朝日4月15日朝刊)と指摘した。
「安心か自由か」という、異なる「正しさ」の衝突のなかで、いかに民主主義を守る「解」を導きだすのか。目に見えない感染症の恐怖にさらされるなか、いかに心を蝕(むしば)まれないようにするのか。ハラリ氏の深遠な問いかけだ。

ユヴァル・ノア・ハラリ氏=2019年9月1日、テルアビブ、高野遼撮影