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祇園祭の山鉾巡行は中止なれど、疫病退散の願いは深く

観光客の姿が消えた京都に夏越祓の茅の輪が据えられた

薄雲鈴代 ライター

 京都は祭の多い町である。

 桜の季節に、疫病を鎮める春のさきがけの祭、今宮神社のやすらい祭にはじまり、勅祭である葵祭、つづいて悪疫退散の上御霊神社の御霊祭と、平安の無事を願う祭が引っ切りなしに行われる。しかし今年は折悪しく次々と巡行中止の知らせがつづいた。

 京に暮らす人々は「よもや祇園祭も……」と不安を口にしていたが、その祇園祭も山鉾巡行をはじめ、関連の祭事の中止が告げられた。

疫病を鎮め災厄を祓う日本三大祭のひとつ祇園祭

拡大昨年の山鉾巡行=2019年7月17日、京都市

 毎年、祇園祭の取材のたびに思うが、年々熱気をおびている祭である。山鉾巡行では12万人からの人が繰り出す。宵山の日にはメインストリートの四条通、烏丸通が歩行者天国になるのだが、それでもまともに歩けないほどの混雑になる。今もっとも気をつけなければならない密接、密着の最たる状態になる。

 7月16日の宵山、翌日の山鉾巡行だけではない。祇園祭は、7月の一カ月にわたって行われる祭である。以前は、山鉾巡行にしか観光客の姿がなかったが、近年ではどんな小さな神事にも、祇園祭通(つう)の人が現われ、大盛況となる。

 ゆえに、従来通りの祭行事を遂行することはむずかしいと危ぶまれた。

拡大今年の祇園祭中止について説明する祇園祭山鉾連合会の木村幾次郎理事長(中央)=2020年4月20日午後、京都市
 4月20日に行われた記者会見で、八坂神社の森嘉雄宮司と、祇園祭山鉾連合会の木村幾次郎理事長が、「苦渋の決断」「断腸の思い」と言われていたが、祇園祭の起源、祭の意義に思いを馳せるならば、このたびの中止を決められた方々の苦衷は察せられる。なにしろ、祇園祭は疫病消除を祈念する祭礼で、今まさに必要としている祭であるからだ。

 祇園祭の起源である祇園御霊会は、貞観11年(869)といわれる。神泉苑に66本の鉾を立て、祇園社の神輿が行幸し、疫病平癒、天変地異の災厄を祓う祈願をしたことに由来する。当初は疫病が流行った時だけ行われていたが、天禄元年(970)から毎年営まれるようになり、長徳4年(998)から山が出るようになった。

 室町時代、長きにわたる応仁の乱(1467~1477)の戦禍に遭い、祇園祭は中断するが、明応9年(1500)に町衆の心意気によって復活を遂げ、昨年(2019)、1150年の節目を迎えた祭である。歴史を遡れば、恐れを知らぬ武将や将軍家ですら祇園祭を重んじ、疫病退散の祈願を優先事項とした。

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筆者

薄雲鈴代

薄雲鈴代(うすぐも・すずよ) ライター

京都府生まれ。立命館大学在学中から「文珍のアクセス塾」(毎日放送)などに出演、映画雑誌「浪漫工房」のライターとして三船敏郎、勝新太郎、津川雅彦らに取材し執筆。京都在住で日本文化、京の歳時記についての記事多数。京都外国語専門学校で「京都学」を教える。著書に『歩いて検定京都学』『姫君たちの京都案内-『源氏物語』と恋の舞台』『ゆかりの地をたずねて 新撰組 旅のハンドブック』。

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