2020年05月01日
JPC(日本パラリンピック委員会)河合純一委員長(44、パラリンピック競泳全盲クラスで5つの金メダルを獲得)は、延期された東京パラリンピックの開会式、2021年8月24日まで500日となった4月11日、外出の自粛、トレーニング場の閉鎖などで苦境に立つパラアスリートたちにメッセージを送った。委員長が会見などではなく選手に直接発信する機会はこれまで多くなかった。しかし1月、JPC初のアスリート出身委員長に就任した河合氏は大会の団長でもあり、各方面で積極的に活動する。
「厳しい状況が続くなかだが、工夫して自宅でできるトレーニングもある。今だからこそ、パラリンピックの価値を選手それぞれが改めて認識し、それを皆さんに届けよう」
私用で欠席せざるを得なかったJOC(日本オリンピック委員会)山下泰裕会長(62)より早く、橋本聖子五輪担当大臣(55)とも面談。パラリンピック延期による問題点は、オリンピックと異なっており、これらを早くから大臣に投げかけ、解決のための支援を頼んだ。
延期決定後、費用の議論や代表選考といったオリンピックの課題に比重がかかるが、パラリンピックで必要とされる独自の課題についてはなかなか取り上げられていない。
JPCでは今後、なるべく早い段階で選手側の声を集めるアンケートなどを実施し、実態の把握を早急に行う。
シドニー大会で、日本人初の義足の走り高跳び代表となり、東京で6大会連続出場の偉業を果たす鈴木徹(39=SMBC日興証券)は、JPCのアスリート委員会幹事を務め、延期決定後、同委員会でオンライン会議を行い、それぞれの競技、各委員の意見を集約した。例えば車いす競技の選手が車いすを常に触っていると周囲から不快に思われた、視覚障害の選手は安全の確保に物を触らなくてはならないが、それも難しくなった、など、ウイルスの感染拡大による延期で練習環境にも変化が出ているといった報告を聞いた。
また、経済状況の変化で雇用にも影響が出るのではないかと危惧する。
「パラアスリートたちの雇用形態はそれぞれです。選手だけではなく、サポートをしてくれる方々も多くいらっしゃいます。今後の経済状況も影響するでしょうし、来年まで今夏と同じように競技を続けられるか。選手たちからウイルス感染拡大において困難な状況、雇用での問題を発信していく方法もあるのではないか、と議論しています」と、現場の切実な思いを代弁する。
16年リオデジャネイロパラリンピック陸上の女子走り幅跳び全盲クラスで8位に入賞した高田千明(35=ほけんの窓口)と、彼女の跳躍の才能を見抜き走り幅跳びに転向させた大森盛一(47=アスリートフォレストトラッククラブ代表)はGWに入り、やっとトレーニングのリズムをつかんだと明かす。
利用していた都内のグラウンドは閉鎖されたため、技術的なトレーニングは行えず、延期でのメンタルの落ち込みにあえて率直に向き合い、切り替えるのに1カ月を要した。現在は2人の自宅に近い公園で週2~3回、園内の平坦な場所で1時間弱、一般の人々の散歩や運動のレベルで何とか基礎体力の維持をするのが精いっぱいだという。
大森氏は、96年アトランタオリンピックに出場し、今も更新されていない陸上男子1600㍍リレーの日本記録を樹立し5位と、史上最高位を獲得。引退後、あるクラブで高田と出会い、パラスポーツには欠かせないサポート役の「伴走者」(100㍍)と「コーラー」(幅跳びの際に踏み切り位置を声がけ、拍手で伝える)も務めている。
「一般的にオリンピックの開始時期について議論されますが、アスリート、指導者は4年で力を使い切るために、終わる日を想定しスケジュールを綿密に組む。延期への対応は本当に難しいですし、今は、とにかく技術や気持ちを研ぎ澄まさないように、意図的にペースを落としています」
オリンピック出場経験を持つだけに、ピーキングには高田も全幅の信頼を置き、事実順調だった。2人の場合は幸い練習環境の激変はないものの、それでも新型コロナウイルスの感染拡大への危機感は常に頭から消えない。例年インフルエンザにもかかりやすいという高田が「密」にならないよう、また視聴覚障害者には何かを触って得る情報収集が重要となるため、練習の送迎、健康管理に自分のこと以上に気遣う。パラアスリートには基礎的な疾患を抱えて競技する者も多く、特に、脳性まひ、けい髄損傷など呼吸機能、肺炎に注意しなくてはならない。今年3月の東京マラソンの際には、エリートの車いすランナーたちから先に、感染への不安を理由に渡航を中止するなど欠場者が出た。重症化のリスクを前提としたからだった。
新型コロナウイルス対策でスポーツ界へのアドバイスを行うある専門家は、こうした不安を背景に、「オリンピックと同時開催といっても、パラリンピックには厳格な入場制限や、場合によっては無観客試合など、アスリートを守る対策がより重要になる」とも指摘する。
大森氏は、「パラリンピックでは出場選手たちの既往症を含め、感染対策がどこまで細かく準備されているか、選手、支える側も懸念しています」と話す。組織委員会の武藤敏郎事務総長(76)は、コロナ対策に特化した部門の設置について「現時点では、政府、関係省庁の指導のもとで行う」(4月理事会後の会見)と、具体的な検討はしていないと話したが、新型コロナに人類が勝つ前に、まずはどう闘い、防御するかのほうが先決だ。
今夏までに予定された大会が中止になったために、代表決定だけではなく「クラス分け」というパラリンピック独自の判定にも大きな問題が起きる。
パラリンピックでは公平を期すために、選手の障害をその度合いによってクラス分けをする。この判定は、陸上などでは細分化するため、指定された大会で判定の更新を受けなくてはならない。進行性の障害を持つ選手は、重いクラスに、反対に障害によって落ちた機能が回復する選手もおり、それぞれが代表を狙うクラス自体、変更になる場合も出る結果となる。
多くの大会が中止になる状況で、本番までに公平で選手が納得できるクラス分けが可能なのか、オリンピックにはない特殊な課題としてIPC(国際パラリンピック委員会)パーソンズ会長も「今後、検討しなければならない問題点のひとつになる」とコメントしている。
4月16日には、東京オリンピック・パラリンピックの準備状況等を確認するIOC(国際オリンピック委員会)と大会組織委員会による「エグゼクティブ・プロジェクト・レビュー」が電話で行われた。しかしその翌週、IOCがホームページ上に「日本側が追加費用を負担すると合意している」と掲載するなど、五輪で初となる延期の混乱や今後への展望は、まだ何も明確ではない状態を示したともいえる。
河合委員長がアスリートたちに発信した「パラリンピックの価値」とは、IPCが掲げる大会開催の意義だ。
「勇気」「強い意思」「インスピレーション」「公平」。人類が未経験のウイルスとの闘い、初の延期、これらを乗り越えるために、オリンピック選手、組織全てにとっての価値になるのかもしれない。
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