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“アドリア海の真珠” ドゥブロヴニクの温故知新

人生100年時代の旅の愉しみ【5】世界遺産のリゾートは「検疫」発祥の地

沓掛博光 旅行ジャーナリスト

衛生面を重視した町づくり

 検疫制度の歴史研究の第一人者で、ドゥブロヴニク大学のヴェスナ・ミオヴィッチ教授(59)は「14世紀から15世紀にかけては、伝染病のペストが大流行し、ドゥブロヴニクでは国民の安全と経済を保つために対策と制度を作る必要がありました。この時期に、健康や衛生に向けての種々のサービスが他の国に先駆けて始まったのです」という。

 経済面については、クロアチア科学芸術アカデミーの歴史研究者が、こう指摘する。「外国からやってきた船に対して、イタリアのヴェネチアなどは、(ペストの流行初期は)排除するなどして入国を拒否したが、ドゥブロヴニクは、停船させたものの入国させないことはなかった。これが大きな特徴です」。入国させたことで、一定の貿易が保たれ、経済の停滞を防ぐことができたのである。

 クロアチア・ハートフルセンター代表で、元クロアチア政府観光局日本事務所のエドワード片山局長(44)は「島へは水と食料が運ばれ、30日を経過して発病が無ければ上陸が許可されたのです」という。

1868年当時の検疫及び隔離所。港の手前右手の屋根が連なる建物(ドゥブロヴニク公文書館提供)拡大1868年当時の検疫及び隔離所。港の手前右手の屋根が連なる建物(ドゥブロヴニク公文書館提供)
 ペストは当時、ヨーロッパ全体に広まり、ピーク時にはおよそ5000万人が死亡したとされ、恐れられていた。ドゥブロヴニクでも、1348年には数千人が死亡したという記録がある。そうした状況の中で、遠方からの旅行者、商人、船員、家畜、積荷を、まず隔離し、発症の有無を確認するという、今日でいう検疫の制度を、離島を利用して始めたのである。

 「その後、検疫は他の島に移して継続されました。その間にも、ドゥブロヴニクは市民の感染症の予防と健康維持を推進するため、1416年には旧市街地内に専門の清掃人による道路清掃を制度化。その約20年後には、上下水道も引いています。ヨーロッパ諸都市ではまだ行われていなかった、衛生面を重視した町づくりを始めました」と片山氏。

検疫の英語「quarantine」は隔離日数の「40」が語源

 入港する船舶の増大に合わせ、15世紀中頃には検疫所を島から本土に移し、1642年に、現在あるプロチェ門近くの新しい検疫・隔離施設を完成させた。

 先のミオヴィッチ教授によれば、「8棟の建物と5つの中庭からなり、室内にはリビング、キッチン、トイレがあり、荷物の菌を落とすためのスモークのスペースや家畜を除菌するプールも備え、2名の医師に薬剤師がいました」とのことだ。厳重な観察と治療が行われていたことがうかがえる。

 滞在日数も、40日間に延長された。「今日、英語で検疫や隔離を『quarantine』と言いますが、その語源はこの『40』のイタリア語『quaranta』からきているのです」と片山氏。

江戸時代の日本、卓越した翻訳力

 これに対して、日本では江戸時代に幕府の洋書調所が、「検(調べる、閉じ込める)」、「疫(流行病)」の2つの言葉を合体させて、「検疫」と訳した。

 直訳すれば「40」となる単語を、その意味する言葉にずばりと訳したのは、洋書調所の杉田玄端らの医学への進取的な思想と見識、そして卓越した語学力によるものだろう。これにひきかえ、昨今の役所や政治家が多用するヨコモジのわかりづらさはどうだろう。自らの言語理解の貧弱さを露呈しているようにも見受けられる。

 余談はさておき、こうした検疫施設の充実によって、ドゥブロヴニクでは、ペストの大流行を19世紀初期までに抑えることに成功した。

 旧検疫所の建物は現在整備され、検疫ではなく市民の各種イベントやコンサートなど文化活動の場として広く利用されている。

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筆者

沓掛博光

沓掛博光(くつかけ・ひろみつ) 旅行ジャーナリスト

1946年 東京生まれ。早稲田大学卒。旅行読売出版社で月刊誌「旅行読売」の企画・取材・執筆にたずさわり、国内外を巡る。1981年 には、「魅力のコートダジュール」で、フランス政府観光局よりフランス・ルポルタージュ賞受賞。情報版編集長、取締役編集部長兼月刊「旅行読売」編集長などを歴任し、2006年に退任。07年3月まで旅行読売出版社編集顧問。1996年より2016年2月までTBSラジオ「大沢悠里のゆうゆうワイド」旅キャスター。16年4月よりTBSラジオ「コンシェルジュ沓掛博光の旅しま専科」パーソナリィティ―に就任。19年2月より東京FM「ブルーオーシャン」で「しなの旅」旅キャスター。著書に「観光福祉論」(ミネルヴァ書房)など

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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