時間がまったく動かない、と僕はいら立ちながら考えた。家畜がそうであるように、時間もまた、人間の厳しい監督なしでは動こうとしないのだ。時間は馬や羊のように、大人の号令なしでは一歩も動かない。
この少年の言葉を読んで、あなたは何を思っただろうか。
実はこれ、大江健三郎の短編小説『芽むしり仔撃ち』からの一節だ。戦時中、感化院に保護された「不良少年」たちが集団疎開する物語だ。
子どもたちが到着してまもなく、山奥の疎開先の村は疫病に襲われ、村人たちは突然、ひっそりと村を捨てて出ていく。自分たちをまるで動物のように扱う村人の監視から急に解放され、戸惑う子どもたち。経験したことのない「自由」の中で不自由な彼らの姿は、どこかコロナ支配下の日本の子どもたちと重なって見える。
あなたの周りにも、そんな子どもがいないだろうか。
私の暮らす高知県土佐町でも3月にコロナで学校が閉鎖された。家で暇をもてあそぶ中1と小5の娘たちを見て、私は我が家の教育を大いに反省した。コロナ休校が始まった当初、まるで一日一日を「消化」するように過ごす娘たちに、私はやるせない想いがした。「せっかく」学校がないのだから、家の裏にある川に遊びに行っても良いし、本を読んでも良いし、好きなことをやれば良いのに。
同時に、日本の教育に対してもこれまで以上の危機感を抱くようになった。友人の話やネットには、家でだらだらしたりゲームばかりしている子どもの姿があふれていた。

高知県土佐町の夕暮れ(筆者撮影)