コロナ危機で露呈した脆弱な日本の教育
日本における貧困問題に長年取り組んできた稲葉剛は、新型コロナウィルスの感染拡大が、新自由主義追求の果てにできた今日の「危機に弱い社会」を露呈したと指摘する(『「危機に弱い社会」を作ってきた。新型コロナと新自由主義の帰結。稲葉剛さんインタビュー』)。
コロナによる経営悪化で、「使い捨て労働者」化した派遣社員はいとも簡単に職を失い、働き口を失った多くの大学生は高騰する学費を払えないと退学を覚悟し、住むところを失った「ネットカフェ難民」たちは露頭にさまようことになった(こちら参照)。
しかし、コロナ危機で試されたのは医療や経済、福祉体制だけではない。教育も同じだ。
社会の様々な機能が麻痺し、突然学校が閉鎖された時、子どもたちがこれまで受けてきた教育はどのような力を発揮したのだろうか。
もし、「大人の号令」なしでは学ぶことができず、やりたいことも見つけられない子どもがあなたの周りにいたとしたら、それこそがこれまでの教育の「成果」と言わざるを得ない。
しかし、そのような教育はなにも今に始まったことではない。
2018年にちょうど100歳で亡くなった教育哲学者の大田堯によれば、「教育」という言葉はもともと日本語にはなく、開国時に西洋から入ってきた「エデュケーション」の誤訳であり、その悪影響は今日の教育にも及んでいる。
ラテン語の語源には、そもそも「教える」という要素はなく、代わりにあるのは、「養う」や「引き出す」という意味だ。それが、教えるという「上にある者が下の者に施す」との字源をもつ要素とすり替わったことが、従来の講義中心型の授業スタイルと日本の学生の学びに対する受け身な姿勢に繋がっていると大田は指摘する。
しかし、そのような教育を受けてきた人間では世界市場で役に立たないことがわかっているからこそ、国は「アクティブラーニング」(今は「主体的・対話的で深い学び」と言っているが…)への転換を打ち出してきたのだろう。