国家公務員法の守秘義務を遵守し、捜査情報の運用指針を明確にせよ
2020年05月25日
元東京高検検事長の黒川氏の賭け麻雀問題が連日取り沙汰されている。
黒川氏が賭け麻雀をしていたという報道が事実だとすれば刑法上の賭博罪(刑法185条)に該当するし、それが常習的に行われていたなら常習賭博罪(刑法186条1項)に該当する。しかし、検察は、これを刑事事件として捜査する気がないようだ。
もしそうだとしたら、検察は、国民から「身内に甘い組織」「お手盛り組織」としての烙印を押され、その信用を失うだろう。「現行犯でないから捜査しない」「金額が大きくないから捜査しない」という検察の考えは、国民の理解を得られないだろう。
我が国の刑事訴訟法は、原則として検察官だけが犯罪を起訴できるという「起訴独占主義」を採用している(同法247条)。起訴権限を検察官が独占しているという意味だ。よって、検察官が起訴しなければ、そもそも刑事裁判が始まらないのだ。これは、検察官にだけ認められた極めて強大な権力であり、検察を検察たらしめている「力の源泉」ともいえる。
ただ、その強大な権力は、国民から負託されたものだということを忘れてはならない。国民からの信頼を失ったとき、検察という組織は砂上の楼閣のように脆く崩れ去るだろう。
これらの問題は多くの論者が既に論じているところであるため、そちらに譲るとして、本稿では、別の観点からこの問題を考えてみたい。
例えば大学時代の同級生が集まって麻雀をしたなら、昔話に花を咲かせたのだろうと思えるが、今回の麻雀はそうではない。メンバーは検察幹部と新聞記者だ。そこでどうしても頭をよぎってしまうのは、黒川氏が、検察の情報(捜査情報)を新聞記者にリークしていたのではないか、という疑惑だ。
もちろん、黒川氏も新聞記者もこの点を明言していないため、リークがあったと断言はできない。週刊文春の記事でも、ハイヤー運転手が、賭け麻雀帰りのハイヤーの中の様子として「記者の方は、黒川さんのお宅までの間に、ネタを取ろうとあの手この手で話を振っていましたよ。でも聞いていると、のらりくらりで、なかなか肝心なことは喋らなかったですね。」と言っている。黒川氏はリークをしていなかった可能性もある。
ただ、「そうでないとするならば、一体の何のために集まっていたのか」とも思ってしまう。「李下に冠を正さず」という。疑いの目は避けられない。
なお、今回の賭け麻雀は産経新聞記者の自宅で行われていたようであるが、そこには朝日新聞の社員もいたようだ。本稿は朝日新聞のサイトに掲載されるのであるから、当然、読者の方々としては「お前が言うな」と言いたくなると思う。おっしゃるとおりだ。私が読者なら確実にそう思ってしまう。
ただ、私は、朝日新聞に「お手盛り」をするつもりは全くない。今回の件、反省すべきは反省しなくてはならない。しかし、これは産経新聞や朝日新聞という一新聞社だけの問題では決してない。以下では、「捜査機関とマスコミの関係」というより大きな視点から、その問題点を伝えたいと思う。
実は、捜査機関とマスコミとの不透明なつながりは、以前から問題視されていた。
例えば、読者の方々も、テレビのニュースで、事件の容疑者が警察に連れられて自宅から出てくる「逮捕の様子」を見たことがあるだろう。だいたいの映像が、狙っていたかのように容疑者をベスト・ショットで捉えている。
だけどおかしくないだろうか。警察がその場にいることは当然だが、その警察や容疑者を撮影しているマスコミは、どうして
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