2016年初夏 この映画を公開しなければ死んでも死にきれん
2016年6月。いつもの食事会でのことだった。小川淳也と小川の秘書、政治ジャーナリストの田﨑史郎、フジテレビのプロデューサーと私が年に数回集まる会合で、小川の話を聞いていた時のことだ。
安倍政権は盤石、所属する野党・民進党には浮上の目がないとぼやく小川の姿を見ながら、私は「この人をもう一度取材して、映画にしたい」という、つきあがるような思いを抱いた。
「なんでこんなに真っ当で優秀な人が、うまくいかないんだ」
それは怒りにも似た気持ちだった。もちろん、小川への怒りではない。政治の世界への怒りだ。安倍政権に近い田﨑が、余裕綽々で野党をこき下ろしていたこともその気持ちに拍車をかけた。

政治ジャーナリストの田﨑史郎(右)との食事会
翌日、私は一気に企画書を書いた。タイトルは、「なぜ君は総理大臣になれないのか」。
書きながら、なぜか興奮状態に陥った私は、「この映画を完成・公開しなければ死んでも死にきれん」と自分に言い聞かせた。小川が官僚を辞め2003年に初出馬するときに、猛反対する家族に対して言った言葉を、思い出したからだ。
「このままでは死んでも死にきれん」
2016年7月13日、小川に取材依頼をするために議員会館を訪れた。この不遜な映画のタイトルを小川がどう思うかが心配だった。

映画企画書
だが私はこのタイトルにこだわっていた。映画のテーマを規定するからだ。
緊張しながら企画書を見せるやいなや、小川は「なぜ君は……いいじゃないですか、面白い!」と笑った。
この時期、閣僚をはじめとする政治家の不祥事や失言があいつぎ、自民党のいわゆる「魔の2回生問題」が世間を騒がせていた。にもかかわらず、安倍政権は盤石に見えた。
そのことを小川に問うと、「この10年よく思い浮かぶのは、人生の8割は我慢、残りの1割は辛抱、最後の1割は忍耐」と言う。思わず笑ってしまった。全部我慢ではないか。

2016年 議員会館にて取材依頼
そこからはじまったインタビューは、直近にあった参院選のこと、イギリスのEU離脱についてなど、話は多岐にわたった。安倍政権が3年半続いているなかで、野党第1党である民進党の現状のふがいなさも口にした。
しかし、そのふがいない党内で、自分自身が「出世」していないことが、小川にとって何より歯がゆいことだった。
日本の未来のために政策提言をしたいのに、党の幹部からは安倍政権の攻撃をしろと言われる。国民のため国家のためという思いなら誰にも負けない気持ちでいるのに、党利党益に貢献しなければいけない……。
1時間ほどのインタビューで、最も私の心に残ったのは、「うちのおふくろなんかは、要らないなら息子を返してくれって言ってますよ」という言葉だった。
小川はこのままでは政界にとって「要らない」人材なのか。そうか、あの時とてもよくしてくれた心優しい“パーマ屋”のお母さんが、そんなことを言ってるのか……。
私はその言葉を反芻しながら、議員会館を後にした。