2020年06月09日
6月3日、筆者が住むニューヨーク市のルーズベルト・アイランドで、March for Justice(正義のための行進)が行われた。
マンハッタンの東側を流れるイーストリバーの中州であるここは、人口1万人あまりの住宅街だ。もともと国連の職員も多く、人種や国籍が多彩なニューヨークの中でも際立って混ざり合っているコミュニティだといえる。
この日はニューヨーク(NY)州クオモ知事と、デブラシオNY市長によって、外出禁止令が夕方8時からに設置され、行進は午後6時半きっちりに始まった。人々は適度な距離を保ちながら1キロほどの距離を歩き、最終的に教会前の広場に集まってスピーカーたちの演説に耳を傾けた。白人、黒人、アジア人、中には髪をスカーフで覆ったイスラム教徒の家族の姿もあった。
COVID-19(新型コロナウイルス)の影響により、巣籠もりをはじめてからすでに2か月半。これほどの人数が1か所に集結した姿を見たのは、久しぶりのことだ。
ようやく感染者数も、死者数も落ち着いて少しずつ社会活動が再開かというところで、COVID-19の報道など吹っ飛ぶような大事件が起きるなど、いったい誰が予想していただろう。
集まった人々の間に、「Black Lives Matter」と書かれたプラカードなどが、たくさん見える。余談だが、この英文は一般的に「黒人の命も大事」と訳されているが、このスローガンのニュアンスを少し説明したい。
今回のアメリカから全世界に広がっている抗議デモは、5月25日にミネソタ州ミネアポリスで警官に窒息死させられたジョージ・フロイド氏の死亡事件が発端だ。
Matterというのは、気に掛けるべき重要なこと、という意味である。
「Doesn't matter.(どうでも良い)」という表現は、英語社会で日常的によく使われる。奴隷制度があった時代には何人の黒人が殺されようとも白人のオーナーは罪に問われることはなく、彼らの命はまさに「Doesn't matter」の扱いを受けてきた。
後ろ手に手錠をかけられ、身動きできない状態で首を膝で圧迫され続けたフロイド氏は、「息ができない」「おかあさん」と悲痛な声をあげながらも、顧みられなかった。加害者のデレク・シュービン警察官はもちろん、見ていた3人の警察官たちの心の中に、「黒人一人死んでも、大したことにはならない」という気持ちがあったのではないか。
残された酸鼻極まる映像を見ると、彼らにとって、黒人の命はやはりDoesn't matterだったとしか考えられない。
アブラハム・リンカーン大統領が奴隷解放宣言を行ってから160年近くがたった現在でも、人種差別は依然として存在する。特に警官による黒人への理不尽な暴行、誤認逮捕、殺害はこれまで数えきれないほど、繰り返されてきた。
この「Black Lives Matter」のスローガンは、これまで何度も虫けらのように踏みにじられてきた黒人の命は「どうでも良いことではない」と訴える悲痛な声なのだ。日本語訳を見て、命が大事なのは黒人だけじゃないだろう、と違和感をもった人はこういう本来のニュアンスを改めて知って欲しい。
「黒人の男で、警官にハラスメントを受けたことがない人間はいないと思いますよ」と、友人のリックは言う。
彼はブルックリンに住む、ジャマイカ系黒人だ。図書館の司書を務め、子供たちの教育プログラムの企画も担当する彼も、これまで何度も理由もなく警官に止められて職務尋問を受け、時には屈辱的な身体検査もされてきたという。
黒人男性と結婚している白人女性の友人は、夫の運転する車に乗っていて何度も警官に止められた。警官が最初に発する言葉は、彼女に向かって
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