バラバラだった球界がコロナで一変。一丸となって対応へ。先送りされた課題も。
2020年06月20日
プロ野球の公式戦が6月19日に開幕した。当初の開幕日は3月20日の予定であったから、ほぼ3カ月遅れての「球春」の到来だ。新型コロナウイルスの感染拡大というかつてない事態に直面した球界は、この経験をどのようにいかせただろうか。野球シーズンのはじまりを喜びつつ、その点を検証してみたい。
新型コロナ禍のもとでの、今回の「危機と球界」のあり方を考える際に想起されるのは、今から9年前の2011年3月11日に起きた東日本大震災への対応だろう。
この年のプロ野球の公式戦開幕日は3月25日の予定だった。「千年に一度の大災害」とも「未曾有の大災害」とも言われた東日本大震災の発生から2週間後に、はたしてプロ野球の公式戦を行えるか、状況は不透明であった。
こうしたなか、3月15日には12球団の代表者による臨時の実行委員会が開かれた。席上、セ・リーグ側は予定通りの開幕を主張し、パ・リーグが開幕日の延期を唱えて意見が一致しなかった。また、日本プロ野球選手会会長の新井貴浩選手が加藤良三コミッショナーなどに開催延期を求めるなど、球界の対応はリーグ間、あるいは球団と選手の間でばらつきがあった。
その後、セ・リーグは3月29日、パ・リーグは4月12日を開幕日とすると決定。両リーグの開幕日を統一するよう求めた選手会側の要望は無視されたが、こうした状況に節電啓発等担当大臣であった蓮舫国務相が、「選手会の考えをくみ取っていない」、「(セ・リーグが開幕日を)4日ずらした理由を聞いたら東京ドームで試合があるからという説明だった。十分な答えじゃない」と批判するなど、球界のちぐはぐな対応が社会の注目を集めた。
最終的に、両リーグとも開幕日を4月12日で統一するということで決着したが、開幕日を巡る両リーグの対立や経営陣と選手会との意見の不一致は、「がんばろう!日本」という日本野球機構(NPB)の東日本大震災復興支援スローガンとは裏腹に、球界が一丸となって行動することの難しさを印象付けた。
だが今回、新型コロナウイルスへの球界の対応は、かつてと大きく変わった。3月2日、サッカーJリーグと合同で新型コロナウイルス対策連絡会議を設置。東北薬科大学の賀来満夫特任教授を座長とする専門家チームの助言を受け、対策を検討したのは、画期的な出来事だった。
野球とサッカーという日本を代表するプロスポーツリーグは、これまで合同の協議機関を設けたことがなかった。それぞれのリーグにおいても、互いに協力関係を築こうとする機運が乏しかったからである。
そうしたバラバラの関係を新型コロナウイルスが一変させた。両リーグの関係は一気に密接になったのである。
連絡会議設置の記者会見の席上、NPBの斉藤惇コミッショナーが「国難ともいえる局面を乗り越えるために、ある意味、異例の協力態勢をとることを決断した」と発言したが、これは2月末にJ1とJ2の公式戦を中止した理由として新型コロナウイルス感染症が「ある種の国難という状況」であるとしたJリーグの村井満チェアマンの認識に対応するものであった。
さらに周囲の予想を覆す事態が起きた。NPBが主導して全12球団を対象にしたPCR検査の導入を決定したのである。
有料会員の方はログインページに進み、朝日新聞デジタルのIDとパスワードでログインしてください
一部の記事は有料会員以外の方もログインせずに全文を閲覧できます。
ご利用方法はアーカイブトップでご確認ください
朝日新聞デジタルの言論サイトRe:Ron(リロン)もご覧ください